石原まい子
こちらの記事の続編
卒業式が近づいてくると、ソワソワしてる先生がいました。
挙動不審・・・
その落ち着きのなさは、過去の経験からでしょう。
私達はウキウキしてました。
毎年勢いがあるノリ
華の卒業式
今の時代、卒リンという言葉は無いでしょう・・・・
知らない人も多いはず。
卒業式にもらえるリング?指輪?
それなら嬉しい・・・
もらえるはずがありません。
卒業式に、リンチで「卒リン」
恐怖を感じてるのは先生達
いつの時代から始まったのか分かりませんが、決して楽しくない行事
楽しいはずがありません。
私自身、まったくもって興味がありませんでした。
先生だけでなく、生徒までドキドキしてるほど。
以前、卒リンのせいで、卒業式が延期か中止になりました。
普通なら先ず有りえないことでしょう。
うちの学校は異常でしたから・・・
すばらしく異常
みんなから嫌われてる理不尽な先生がターゲットの対象に。
誰が決めるという事でもなく、自然な流れ。
私達の世代は非常に悪かったので、今考えれば理不尽なのは間違いなく生徒。
先生ではないのは確かなこと。
学校で三年間まともに勉強した人は、ほんのわずか
可哀想な私達・・・・
勉強できる環境ではなかったですからね。
落書きだらけの校内、机も椅子も人数分なんて無い
黒板は愛羅武勇とか漢字の嵐
先生が消しても消しても変わらない
窓から勉強道具を常時投げてる奴もいました。
投げるのが好きな生徒がやたら多い
タバコの吸殻も投げ放題
シンナーの瓶や怪しい臭いのティッシュも・・・
教室にあるのは麻雀パイにトランプ、花札、タバコ、灰皿、お菓子、アンパン
可愛いアンパンマンならいいのに。
それが当たり前だった学校
慣れてくると、普通に感じてくるのもおかしい…
しかも授業に出ると文句を言う人間がいました。
真面目は出て行け!
ここにはマジメちゃんはいらない。
勉強したくても出来ない人が多かったのは現実
塾も不良の溜まり場
後にホンモノの不良になる男子も多々いました。
(不良とは関東でヤクザという意味)
卒業式が近くなれば、学校は更に色が付いてくる
派手すぎ
決してお洒落ではない・・・
安いスプレー缶とペンキでの落書き
仕入先は得意な人間。
アンパン大好きな者
芸術的な学校とは程遠い
センスが良ければ芸術ともいえるかもしれません。
普段使わない漢字と意味のわからない絵
ビーバップやごくせんも顔負け
クローズなら役者がカッコいい。
そんな落書きを先生達は毎日消す作業をしてました。
楽な職業ではありませんね・・・
卒リンの話は何処へ・・・
はい。
私達の学年は前日に担任から、卒業式に出席したらいけない生徒の親に電話をしたのです。
強行突破して出席した場合は・・・卒業証書を渡さないという
数名いましたが、9割は無事に出席しました。
出席する条件の一つ
生徒全員、髪の色を黒くすること。
なんだかんだいって、いい先生が多かったような気がします。
担任は熱い先生。
結局、卒リンなんかありませんでした。
それどころか、みんなで書いた色紙と大きな花束を渡しました。
先生も私達も号泣です・・・
最高の卒業式でした。
終わり良ければすべて良し
先生もホッとしたことでしょう。
その後、落書きは生徒みんなで綺麗に消しました。
いい思い出です。
ノンフィクション ブログランキングへ
姐さん「任侠」記
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
文庫本は⇒コチラ
こちらの記事には多少書きました。
暴走族の話
もっと書くことはあるんですが、深く触れないようにしてるのは意味がございます。
後輩や友人が亡くなったからです。
16の誕生日に、親から買ってもらったCBR400
カッコイイ。
すごく喜んでました。
両親は中華料理屋を経営
私達は後輩の親のお店で、よくご馳走になってました。
ピカピカに輝いたバイク
念願の新車
傷を付けるのが怖いので、ほんの少しだけ乗らせてもらった覚えがあります。
新品ですから緊張しちゃいます。
しかも自分のではないし・・・
みんなが乗っているのは中古でしたからね。
新車を乗ってるの人はいなかったような・・・
改造するので、中古で充分。
マフラーとかでお金がかかりますから。
ところが、誕生日に届いた翌日の朝・・・・・・
事故で死んだと・・・・・
昨日は元気だった
あんなに喜んでいたのに・・・乗ったのは、たった一日
誕生日に買ってあげた両親は自分達の責任だと・・・
そんな・・・・・
その後、お店は閉めてしまいました。
悲しすぎる・・・
私の友人も同じく単車で命を落としました。
仲間といる時ではなく1人で乗ってるとき。
夜中の出来事
その数時間前まで一緒でした。
みんなでいつもと変わらない話し。
口数が少ない友人
思いやりがあって、好かれてました。
1人で乗るときには、ついついスピードを出しすぎてしまう
だから、みんなによく言ってたんです。
単車が好きなのもわかる
事故を起こしたら死ぬかもしれないんだよ。
スピードは出しすぎないようにね。
まだ乗り慣れていないのに粋がって猛スピードを出し、回転して、脳に重症を負った者もいます。
遠い昔の話ですけど、忘れることはございません。
天国で思いっきり走ってることでしょう。
石原まい子
ノンフィクション ブログランキングへ
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
単行本はコチラ でご購入できます。
こちらの記事の続き
たった2日間の家出
短い旅・・・
そして、戻った家には家族の姿が目に入りました。
母は優しい笑顔で迎えてくれました。
ちょっぴり照れくさい。
何事もなかったように「おかえりなさい」と・・・
自然と涙があふれてきました。
私だけではない。
目をこすっていたのを見てました。
涙を隠すかのように・・・
ごめんなさい。
お母さん。
大好きなのに泣かせてしまった。
どれほど私を心配したことでしょう・・・
朝から晩まで探し回ってたのを聞きました。
そして想像していた父の怒る顔
怖っ・・・
ですが、父は怒りませんでした。
置き手紙を何度も読んだようです。
本当に理解してくれたのかはわかりません。
でも、私なりに伝えたかった・・・
心の声を。
口下手の父は黙ってました。
私には何が言いたいのか伝わりました。
母は、私達も直すところがあるから、これからは何でも言ってね。
何でも言えないのが本音。
いつものように優しい母の声
翌日、警察へ母と行きました。
2度目の警察訪問・・・
特別に悪い少女ではなかったのは確かなこと。
学校は極悪非道
それも仕方が無い
そんな地元だから。
綺麗にお化粧して、ロンタイのスーツに9cmのハイヒール
ロンタイとは、ロングのタイトスカート
流行っていたのかは不明
そんな服装が好きだった。
生意気な格好に生意気な態度。
15だからといって、子ども扱いされるのが嫌でした。
そんな年頃。
買ったばかりのスーツを自慢げに。。
婦警さんとも長い時間、話してたのを今でもはっきり覚えてます。
相談事もない。
婦警さんから質問の嵐。
友達は?
どこに行ってたの?
本当の事は話しませんでした。
友達の名前を言えば迷惑もかかる
どこに行ってたのかと聞かれたとき・・・
駅のバス停近くにあるベンチに2日間いました。と、テキトー
信じてるはずがありません。
それは承知のうえ。
質問の続き
お洒落なんだし、きれいな顔なんだから女優さんにでもなったら?
そんなに褒めても何もでないのに・・・・
女優もいいかもしれない。
プロダクションを紹介してくださいよ。と、小生意気な返答
夢を持つように言いたかったのでしょう。
将来は何がしたいの?とか聴いてましたからね。
私に対して、その後の両親はずいぶん変わりました。
なんだか腫れ物を触るような感じ。
そのときはそれで居心地がよかったような・・・
バカな勘違いですけどね。
捜索願を出されたのはそれが最初で最後でした。
尊敬するのは怒ってばかりのお父さん
文庫本は⇒コチラ
単行本は⇒コチラ
15才のときに家出をしました。
もちろん、私なりの理由があります。
とても厳しかった父
そんな父に文句一つ言えない母
それほど怖かったのでしょう・・・
普通なら怒らなくてもいいような事でも怒鳴ります。
叱るのではなく怒る。
例えば、学校の友達から電話があっても、取りついでくれません…
わるい友達、よい友達
勝手に判断していた親
「今、まい子はいない 」
えっ・・・
私は目の前にいるのに・・・
それだけ言って電話を切ってしまう。
男子からの電話は誰でも無理でした。
いつも家にいない子みたい。
私から連絡をして、留守だったので、折り返してもらった電話
もちろん、携帯のない時代
公衆電話か家の電話
家からは殆んど電話した事がありません。
本当に・・・
話してると、誰と話してるんだ!
誰って、友達以外に誰がいるの?
そして勝手に受話器を切られる
電話は話すためのもの。
切るためのものではない。
お母さんに、うちは原始時代の親みたい。と、 何度も言ってたのを覚えてます。
実際、原始時代の親がどうなのかなんて知るわけがありません。
時代と共に進化してない
子供を理解しようとしない
信じられていない
まだ15なのに・・・
お父さんやお母さんの時代とは違う
それが言いたかった…
自由がないという思い込み
家にいても楽しくなかった時期
お母さんは仕事で忙しい
お父さんは帰ってきても、あまり話さない。
笑顔の家族とはかけ離れていたような・・・
今考えれば自分勝手な理由かもしれない
何不自由なく育ててくれたのに…
ある日、私のことを理解しようとしない親に、置き手紙を書きました。
私が家出した理由
言いたいけど言えなかった事
見付からないように、荷物は最小限にしました。
そ~っと・・・
そして、帰って来ない我が子に焦ったのでしょう。
私は部屋を綺麗に片付けて、テーブルの上には手紙を残しました。
それを見付けた両親は、反省して泣いたらしい・・・。
心配性のお母さんは、思い当たる友達に電話を掛け続けた
私にとっては勇気ある決断、行動でした。
それしか方法はないと思ってましたから・・・
泣きながら書いた手紙
本音を伝えたかった
お母さんは、友達に「私達が悪かったから、どこにいるかだけでも教えてほしい」
それは耳に入りました。
大好きなお母さんが心配してる
わかっていたけれど、しばらく家から離れていたかのです。
だけど気になり、一度だけ電話をしました。
大丈夫だから。女の友達の家にいるから
それだけ伝えて切りました。
悲しそうなお母さんの声
家出しても楽しい時間は過ごせませんでした。
先輩が働いてるパブに行ってみたり・・・
そして、家出してから2日目にして、、、まさかの捜索願を出されてしましました。
早すぎる・・・・・
私の青写真が撒かれました。
友達や先輩からも、「不味いんじゃないの?」
確かに・・・・
憂鬱な思いで帰ることを決意
きっと、お父さんからは又怒鳴られるにちがいない
でもお母さんのためを思うと帰るしかありませんでした。
親戚や兄妹、両親の友人達まで探していたらしいです。
喧嘩ばかりしてたお兄ちゃんも心配してました。
放っておく親も多いのに・・・・
私が気付かないだけで、愛されていたのでしょう。
そして帰宅。
両親は警察へすぐに電話
翌日に私は警察へと行く羽目になりました。
たった2日間の家出少女として。
正確にいえば2泊3日の小さな旅
続く
どうにもこうにもならない中学校
誰も変えることはできない・・・
とにかく悪い世代。
ですが、今のような生徒同士の陰湿なイジメはありませんでした。
やるなら正々堂々と!
喧嘩の売り買いはありましたけどね。
よその学校とも抗争。
売られたら買うしか手段はないのです。
一度でも逃げたら、ずっと逃げなければなりません。
逃げていなくなった友達は1人だけいました。
仲間割れ。
絞められてました。
私はみんなで1人を殴る蹴るというのが嫌い
汚いやり方
もちろん参加しませんでした。
逃げ切ることは可能なようで不可能
しつこい人間もいましたからね。
反発できない子は、途中で転校。
私は何度もかばったんですけどね…
かばえば、かばうほど、面倒になることはに分かってました。
特に仲がいい訳でもないんですが、弱い者イジメは嫌いでしたから。
おかげで、矛先は予定通り私に・・・
見かけは強いが、弱い集団との戦争が勃発。
は~っ・・・
意気がって金髪にしてるだけで、中身が空っぽの女子集団
当時でも派閥はありました。
どこの誰と仲良くしようが、私の勝手。
人に言われて簡単に動くわけがない。
みんなに、アンタはどっちなの?とか、聞いてる変な奴もいました。
選挙でもやるつもり?
そんな器量もないのに・・・
どっちもこっちも、自分の道は自分で決めるもの。
それをわかってない奴ら
無理やり聞いて何が楽しいのか意味がわかりませんでした。
あまりにもムカついたので、チリチリ金髪の女をギャフンと言わせるため、アイロンを持って、挑戦状を叩き付けました。
何故アイロンなのか・・・
アイロンの役目とは、きれいに真っ直ぐにすること。
いらないシワを取り除く。
チリチリ頭を真っ直ぐに伸ばしてやろうかと思いついた可愛い手段。
言葉使いが悪いですね
きれいに伸ばしてあげようかと・・・
少しは曲がった心も真っ直ぐになるのでは?
そんなバナナ
そんな馬鹿な。。
変わるはずがありません。
アイロンを思いついた私も可笑しい。
念力で曲がるのは、胡散臭いスプーン
曲がったスプーンは、そのあと簡単に折れますからね
そして待ちに待った、くだらないアイロン計画。
相手がセーラー服の襟を掴んできたので、今しかない!
髪は目の前。
それが目的
殴り合いは疲れますから。
かかってくれば、相手にしちゃいますけどね。
そんな大事な時、仲のいい友達に持っててもらったアイロンが無い・・・・
何をやってるんだろう。。
あれだけ言ったのに・・・
ということで、アイロン計画は終了!
やる気が失せました。
思わず、「や~めた」と、放棄。
笑いながら又ね~と、サヨナラしました。
ムカついてた様子の相手
追いかけてきましたが、今度にしよう。と、私
可笑しくて仕方がなかったですね。
言ってる自分が。。
挑戦状は何処へやら・・・
かっこよく書いたんです。
習字。太い筆で・・・
そんな時代の中学校生活も終盤に入り、受験体制
受験には程遠い極悪学校
高校に行きたいと思ってる生徒は90%
遊んでる人間でも高校ぐらいは行きたいと思うのです。
行けるような学力がないのも当然。
高校に行きたいと思うのは自由。
中学一年の勉強すら分からない生徒も、とりあえず受験
受験料が勿体無いような。
ツケは必ず回ってきます。
今では考えられないでしょうが、中学浪人が多かったのが現実
卒業したあとは、働くか、結婚して子供を産むかという感じでした。
友達も高校には行かず、立て続けに3人出産
私は某私立女子短期大学に入学
中3の後半は真面目に受験勉強しました。
喧嘩なんかやってる場合ではない。
私立への入学
それが間違いの始まりだったのは後でわかります。
学校は見かけだけで選ぶものではありません。
もっとよく調べるべきだったのです。
しかも私には合わないレベル
無理しちゃいました・・・
人生までも変えてしまった高校と教師
続く
姐さん「任侠」記
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
文庫本は⇒コチラ
こちらの記事の続き
冬はストーブだったというかことは前の記事で書きました。
昭和の良き時代
先生は基本的に嫌われ者的な扱い
でも、教室にあるストーブは人気者。
人気物。。
ヤクザの準構成員みたいな、やんちゃだらけ生徒の集まり。
ニグロやパンチは普通…
もちろん男子。
女子はカーリーヘア、他いろいろ。
お洒落な先輩はサーファーヘア
ツッパリですが、やはり顔はきれい
ワルの基本でしょうか。
美奈子先輩も綺麗でしたから。
顔は親のおかげ。
学年でも特別なワルが、寒い寒いと大騒ぎ。
誰のせいだと思ってるの?
寒いのは、あんた達が全部のクラスの廊下側ドア、 そのガラス窓を割ったから…
ストーブがついていても寒いのは当たり前。
隙間だらけなんてものじゃありません。
壁でさえ穴は開いてる。
ドアは壊されてる。
まともにあるのは天井ぐらい。
あまりの寒さに、段ボールをガムテープで窓の代わりにふさいでました。
頭を使って出た行動が単純。
変な学校・・・
挙げ句の果てには、教室の窓ガラスまで割って…
何を考えてるんだか。
おもしろいと思うのがおもしろくない。
みんな震えてました。
怖いのではなく、寒いからです。
マフラーして手袋したまま。
勉強する生徒も2割ぐらいでしたからね。
ワルの基本。
学ランの内側が赤と紫のサテン、そしてお決まりの龍の刺繍。
そのメンバーが集まり、何をしたかというと…
焚き火だと言い出して、ストーブの火でいろんな物を燃やし出しました。
授業という授業は無いに等しかったので、やり放題。
そしてまさかの事態に…
火の粉が教室のカーテンに飛び移ったんです。
一瞬の出来事。
あっという間に火の海寸前・・・
焦ってる人は居たような、いなかったような。
”あっ燃えてる ”
ある1人はアホなのか笑ってました。
笑い事ではない・・・
非常ベルは毎日鳴っていたので、誰も気にしません。
鳴りっぱなしの学校。
先生も、いつものイタズラかと思ってたんでしょうね。
そのうち、消防車と救急車のサイレンが鳴り響きました。
ヤバイでしょう・・・・
周りにいたみんながバケツで水をかけて消火活動。
消防隊員なみ。
やった人間は逃走。
逃げ足だけは速い。
とはいっても、校庭から見上げて笑顔の犯人。
そんな事があってからは、真冬の寒いときでもストーブ禁止。
最悪・・・・
カーテンは燃えて無くなってるし…
自分達で用意しなさい!と先生達は激怒
誰もが知らんぷり。
窓を開けなければ冬場ならカーテンは必要ない。
それが・・・窓も割れてたんです。
何度も新しい窓を取り付けても割ってしまう者がいる
窓なし、ドア無し、教科書なし。
机や椅子も校庭に投げる遊びが流行ってました。
水風船は投げ放題。
何故あのとき、燃えて大変な事になったのに・・・
ニュースで取り上げられなかったのでしょう。
もしかして、ニュースになっていたのかもしれませんが、
今のようにパソコンも携帯もなかったので知らないだけだったのかも・・・
事件ばかり起こしてた数人のワルは数年前、久しぶりに電話で話したら、私に敬語でした。
大人になったから?
散々、私と喧嘩して揉めた人間K野
MやKは組織に入って破門。
その後も新聞で見かけました。
もちろん悪いニュース。
人間は時と共に変わるものです。
地元で噂を聞いたようです。
私が極道の妻(組長の女房)という事。
それで態度が変わったのでしょう。
男のくせに・・・
その人間と電話を繋げた友人
その友人は某組織の親分と付き合いがある極道。
現在は長い懲役生活を送ってます。
今でも親友です。
ある事件により堅気に。
古い付き合いです。
生きて出所してください。
刑務所の中で死なないように。
石原まい子
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
単行本は⇒コチラ
文庫本は⇒コチラ
こちらの記事の続き
授業は受けたい子だけが受ける。
それはお決まり。
先生達も呆れてましたが、どうにもなりません。
今の時代と違うのは、先生は呆れながらも必死で生徒に向かってきたのを覚えてます。
毎日が戦い。
生徒同士の喧嘩でも、見ない振りなどしません。
「おまえら、いい加減にしろ!」
同じ言葉を繰り返す。
言われても変わらない生徒達
非行学校。
極悪生徒
殴りあいなんて日常茶飯事…
喧嘩を見ない日はなかった。
教室や廊下、校庭、体育館
どこの場所でもやってることは一緒。
勉強なんかできる環境ではない。
頭がよくなることよりも、喧嘩が強くなることのほうが格が上がる。
先生が喧嘩してる生徒を止めようとして、血だらけになることもある。
生徒の制服も先生のワイシャツも血が付いてます。
スーツを着てこなくなる先生も増えてきました。
動きにくい、血が飛び散るから・・・
そんな理由
どんなことがあっても先生達は警察に電話したりしません。
電話1本で収まるのに・・・
骨を折った先生もいます。
それでも、ギブスを付けて学校を移ることなく通ってました。
お互い真剣だったんですよね・・・
私達も先生も。
放っておけば楽なのに・・・
放っておいてくれない先生
文句を言いながらも先生は嫌いじゃなかった。
みんなも面倒だと思いながらも好きだったはず。
殴られても教育委員会などに言う親も生徒もいない。
すべて自分持ち。
わかってるから。
私と仲のいい美人で大不良の先輩は、友達との喧嘩で相手が刃物を出してきたんです。
いきなり刃物を出してくる人間は弱い証拠。
素手では勝てないからでしょう。
強い者はハッタリなんか必要ない。
1対1なら当然のこと。
私も途中で騒ぎを聞き、駆けつけました。
美奈子先輩を守ろうと、相手が持ってる刃物を取ろうと瞬間・・・
「大丈夫だから離れて!」
そう言われました。
大丈夫じゃないのに・・・
自分でカタをつけたかったんだと思います。
人の力を借りないで・・・
私も後になって同じような揉め事があり、理解でしました。
自分のケツは自分で拭く
まさに女気。
廊下や階段は血がいっぱい・・・
壁も血だらけ。
いつもの光景と変わらない校内。
血を見ても驚かない人もいる。
慣れって怖い
静かな教室は学校が終わった夕方以降
包帯を巻いてる生徒もたくさんいます。
口先だけ達者で弱い者イジメをする人間も中学時代は多かった…
喧嘩の一つも出来ない子に限って威張り放題。
本当は弱いくせに…
そんな子から喧嘩を売られました。
私は完全にやる気なし。
売られた喧嘩は買うしかない。
逃げることは間違ってもしない。
逃げる意味がないから・・・
ギャラリーも集まり、凄い盛り上がり方。
負ける気がしない。
弱い者イジメの番長と喧嘩
先輩達に、おべっかばかり使ってる人間
許せるはずがない。
戦いのとき
タイマンです。
簡単に勝負はつきました。
負ける気がしない という、気持ちが勝ったんです。
私が勝って喜んでた友達も大勢いました。
イジメられてたりしてた子達は特にです。
なんせ、見た目だけのハッタリで、真面目に勉強してる子達をイジメていたんですからね。
弱い者イジメ番長を倒した私。
逆に倒された女子はみんなからの笑われ者に・・・
当然ながら彼女の仲間にも。
少しは大人しくなればいいのに。
そう思ってました。
私だけでなく、誰もが思ってたこと。
できることなら、殴り合いの喧嘩は避けたい・・・
疲れるから。
なんだかんだいっても、あの頃の先生は真剣でいい先生がいました。
今はそんな真剣に向ってくれる教師がいるのでしょうか・・・
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
忘れたくても忘れられません。
思い出さないようにしているだけです。
当時まだ若かった私
一人歩きをするのは普通だと思ってました。
今までがそうでしたから・・・
夫は極道の世界の組長(数年後には会長)
一回り以上の年の差
堅気だった私の生活も変わりました。
まさかあの時あんな恐ろしい目に合うなんて、思ってもみませんでした…
ヤクザでもないのに巻き込まれるだなんて・・・・
今になって考えるとわかります。
どこの仕業か…
その時の私には、何処と何処が犬猿の仲か…
そんなの知るはずがありません。
●●会●●連合の姐だろ!
●●は許さない!
どうして私なのか、頭の中が真っ白。
引き面れて…
自分の力では身動きできない状態。
恐怖の瞬間
首を絞められ、このとき初めて本当に殺される…
そう思ったときでした。
歌舞伎町二丁目、路地で待ち伏せしてたかの様子
白髪混じりの背の高い男
堅気か不良かは考える余地もありません。
只その時は逃げることしか考えませんでした。
どんなに大きな声を出しても誰も助けにこない
見ている人達が110番してくれると思った…
パトカーが来るまでの時間稼ぎ
きっとすぐに来るはず。
一瞬に浮かんだそんな考えは打ち消されました…
サイレンも聞こえない
制服も私服も来ない
最悪…
自力で助かったようなものの、ずっと泣いてました。
家に帰ってからも・・・
「此処にいるから来いよ」
あの人に呼ばれて行った道中の出来事
悲しさと悔しさで涙が止まりませんでした…
あの人は、「気にするな。不良のやる事じゃない。もう大丈夫だから。」
大丈夫なわけがない・・・
虚しくなりました。
周り(組長達)も必死で、私を襲った人間を探して回りました。
どこにも居ない
見付からない
どうしても捕まえてほしかった・・・
許せないのと恐怖で胸が張り裂けそう・・・
きっと近くにまだいるはず。
お願いだから探して。
私の願いは通じませんでした。
あきらめるしかない
そんなものなんだ
私が真相を知ったのは離婚してからです。
許せないことや納得行かないことがあるのが裏社会
女まで巻き込むとは・・・
その後は、必ず若い衆が数人は付くようになりました。
それがなくても看板を背負ってるわけですから、1人では歩くことはなかったですね。
あの時は警察もヤクザも怨みました。
味方なんて上辺だけ
裏の世界には、その裏側があります。
暗黒街、歌舞伎町。
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
私の書籍にも書いてあるように、厳格なお父さん。
怖い存在。
多少の博打はしてましたが、法に触れるようなことはしません。
根が真面目。
気性は荒いですが、真っ直ぐで仕事一筋。
仕事場では下の者には厳しく怒鳴ることは日常茶飯事。
親分肌
社長からは好かれていたようです。
喧嘩っぱやいのがたまに瑕(キズ)
そこは私も似てしまったのかもしれません。
30代まではイケイケでしたから。
お父さんは仕事が終わると真っ直ぐに帰ってきてました。
仕事仲間に誘われても断る
あんなに好きなお酒でも、外で飲むのは苦手なようでした。
たまには飲み屋に行ってくればいいのに・・・
おもしろくないないから行かないの一言。
協調性に欠けてるのでは?と、思うほど。
家では必ず飲みます。
家でしか飲みません。
親戚や身内とは飲むんですけどね。
せめてもの楽しみがお酒と麻雀
趣味はない・・・
仕事なのかもしれません。
定年になったらどうするんだろう・・・
家族で話してました。
ずいぶん昔に定年を迎えた父
やはり、趣味がないため、つまらなそうな感じ
怖かった父でしたが、子供の頃にツラい過去があります。
悲しい真実
大人になって聞かされました。
お姉ちゃんとお父さんは産みの親、お母さんに育てられました。
子供の頃、お父さんだけが奉公に出され、親から見捨てられた・・・
そんなお母さんでも好きだった父
勉強も一生懸命やって成績も優秀。
頭のよい高校に受験して合格。
本当に行きたかった学校は青山だったそうです。
お金を出してもらえず、公立の高校に・・・
今でもレベルは高い学校。
卒業したことを聞いたのは最近です。
親の愛情を受けてないお父さん
幼少期の話をしたがりません。
お母さんから聞きました。
妹も私も聞くたびに涙が出てきます。
たまにですが、お父さんに昔の話を聞きます。
私が知らない時代
興味津々
楽しく話す時は仕事のこと。
お父さんの家族の話になると黙ってしまいます。
いつもとちがう空気
怒りっぽいお父さんが寂しそうな顔に・・・
幼い時から働かせられて、勉強もして楽しい思い出なんか何一つなかった父…
旅行や遊園地にも行った覚えがないようです。
それに比べたら、クリスマスや誕生日パーティー
たまに行く旅行は贅沢だったのかもしれない。
家族にも厳しいけど、家族のために何かを作ろうとしていたのです。
お母さんと結婚してから何が変わったのかはわかりません。
遠い昔を知りませんからね。
気性の激しいお父さん
怒ってばかりのお父さん
欲しいお人形を買ってくれなかったお父さん
それでも、私が尊敬する人はお父さんなんです。
後ろ姿を見ていたはずなのに、道を反れてしまった私…
私の言い分もあります。
信じられないぐらいの厳しさ
原始時代の親かと思うぐらいでした。
それはお母さんも同じ。
お母さんの場合は、私達がお父さんに怒られないようにするため
学校で何かあっても相談した事はありません。
(子供の頃)
お母さんはお父さんに逆らうことも出来ない。
言えば怒鳴られるからという思い込みの理由。
襖(ふすま)が少し剥がれてもバレないように隠してました。
仕事から帰ってくるまでに急いで直す。
5時半ジャストに帰宅するお父さん
時間前にはダッシュで靴をきれいに並べて、ゴミ一つないようにしてました。
女房の鏡
機嫌が悪くならないように、余計なこと一つ言わないで隠してばかりの母。
そんな生活をしても別れない…
よく我慢できるな…
「こんな思いをするなら離婚すれば?」
そんなふうに言ったことがあります。
お母さんが殴られて初めての家出
私はお父さんに泣きながら怒りました。
お母さんを泣かせないで!
お父さんなんか大嫌い!
黙ってました。
お兄ちゃんもお父さんには反発ができなかった・・・
そのときの私はお父さんのことを怖いとか、そんな思いは消えていた。
守るしかない
私なら言える、今言わなければ変わらない。
子供から大嫌いと言われたのはショックだったみたい・・・
私は大人になってから我慢を覚えました。
必要のない我慢も・・・
それも自分が選んだ道ですから仕方がありません。
お母さんも我慢強い
私とは意味合いがちがうかもしれません。
愛する人に尽くすのは母譲り。
一途ですからね。
親の言うことも聞かず勝手に家を出て心配ばかり掛けてきました。
心配してくれる両親がいることに感謝してます。
余計な心配ばかりかけてしまいましたが・・・
普通の人では味わう事がなかったでしょう。
堅気の人と一緒にならなかったわけですから。
今になって、ようやくですが安心してると思います。
仲が良かったのに諸々の事情で離婚してしまいましたけど・・・
それも運命。
今は精神的に疲れない生活を過ごしてます。
数年前の私とはずいぶん変わりました。
最後まで支えてくれた家族のおかげです。
怖いものはありません。
私は大丈夫。
今まで心配ばかり掛けてごめんなさい。
大好きなお父さん、ありがとう。
石原まい子
赤と黒の履歴書
↓↓↓↓↓
ノンフィクション ブログランキングへ
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
あいかわらず学校の帰りに商店街中を聞いて回った…
ところが月日が経つにつれて、冷たい大人
魚屋のおじさん「全然わからないから」
何にかを隠してそう…
今までなら優しく声をかけてくれたのに…
ある日、手紙が届きました。
エミちゃんからです!
嬉しい。
二度と連絡がとれないかもしれない
そう思ってましたから。
内容は「まい子ごめんね。
お父さんが死んじゃってから、誰とも話さなかったの…
お母さんから、誰にも住所を教えたらダメって言われてた」
便せん二枚の手紙
一枚は私とエミちゃんの顔が書いてある絵
楽しそうな、あの頃の二人
エミちゃんは忘れてはいなかった。
よかった…
その手紙の最後には、今住んでいる住所が書いてありました。
誰にも教えないでね。
ナイショだから
東京からは居なくなっていた。
八王子
行ったことのない場所
借金から逃れるために行動に移したエミちゃんのお母さん
そんな大きな額ではないようでした。
派手で話し好きのおばさんは水商売で働いていたらしい
仲良しに見えた商店街のみんな
おじさんが自殺してからは急に態度が変わった。
おばさんの悪口も言いたい放題
影でコソコソ
ズルい。
おばさんだって、おじさんが死んでからツラくて悲しい思いをしてたのに…
自分勝手な大人達
涙の一つも流せないないんて…
美味しい天麩羅も特別にサービスしてもらっていたくせに…
その頃から大人になんかなりたくない
そう思うようになりました。
表の顔と裏の顔
私の両親は真っ直ぐな性格
裏も表もない。
あれから連絡を取り合って、久しぶりに再会したのが、中学一年生
新宿で待ち合わせ
駅ビルがマイシティの時代
今はルミネ
歩きながらいろんな話をしました。
バレリーナになりたかったエミちゃんのお姉ちゃんは、グレてしまった
そうなんだ・・・
おじさんが亡くなってから変わってしまったらしい…
エミちゃんとは、それが最後。
引っ越しを繰り返し、今は何処にいるかわからない…
会いたいと思う友達
探してます。
恵美子ちゃん。
幸せになってるといいな。
恵美子ちゃんのお父さんへ
たくさんの楽しい想い出は忘れません。
美味しいご飯を食べてるときは幸せでした。
きっと天国でエミちゃんを見守ってるでしょうね。
ありがとうございました。
石原まい子
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
表のブログ
↓↓↓
頭がいいけど、通信簿には毎回のように「落ち着きがない」と書かれていました。
実はお兄ちゃんと犬猿の仲
話せば喧嘩ばかり…
力では負ける
宿題も、分からないから聞いてるのに途中で怒りだす。
短気にも程がある。
怒り方はお父さんによく似ています。
鬼みたい…
なるべく近付かないようにしてました。
めんどくさいから。
お母さんも困ってたし… お兄ちゃんもお父さんも怒りんぼから。
ある日の大喧嘩
あまりにも腹が立って、何をすれば気が済むか考えました。
玄関先でぶっとばされた私
仲裁に入ったのはお母さん
早く離れて!まい子も自分の部屋に行きなさい。
私は悔し泣き
どうにもこうにも気持ちが収まらない…
お兄ちゃんが気に入っていた靴を自負の部屋がある三階から思いっきり投げたのです。
とりあえず片方だけ
それでもイライラして、もう片方の靴は土手に投げました。
ばーか…
お兄ちゃんなんか大嫌い!!
家に戻ってからは何だか落ち着かない。
何故だろう…
やっぱり、投げた靴が気になる。
気にいってたはず。
どうしよう…
罪悪感が芽生える
しばらくして、お兄ちゃんが謝りにきました。
いつもならゴメンなんて、絶対に言わないのに…
下を向いたまま何も言えず。
夜の8時頃にソーッと抜け出して、泣きながら投げた靴を拾いに行きました。
無い 無い 無い
暗いし、どこに目掛けて投げたのか分からない…
喧嘩したときの怒りは消えていた。
部屋から投げた靴は裏の家の屋根に乗っていたので、例の竹馬で引っ掛けて取ることに成功。
誰にも見られていない。
よかった~
翌日お兄ちゃんは無くなった靴を探してました。
しかも見つからないのは片方の靴
結局最後まで言い出せませんでした。
あの日から30年後ぐらいに、お母さんとお兄ちゃんに話しました。
そんな事があったのは覚えてないみたい。
私の中では、ずっと忘れることができないままでした。
謝るって、簡単なようで簡単じゃない
ごめんなさいの一言
なかなか言い出せない性格
謝らないで、得することなんてないのに。
損をすることばかり。
あんなに仲の悪かったお兄ちゃんは、極道の世界に入った私をずっと心配してくれてました。
余計な事を口には出しませんでしたけどね。
石原まい子
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
赤と黒の履歴書
続きを読む
女の子なら誰もが欲しがるお人形。
幼い頃の私も欲しかったお人形がありました。
髪が長くてキラキラのドレスを着た可愛いお人形。
着せ替えの洋服もあります。
欲しい・・・
うちは決して貧乏な家庭ではありません。
父は異常なほど厳しかったので、欲しいものは何でも買ってくれるという性格ではなかった…
だから簡単には言えませんでした。
母には言ってたんですけどね。
そんな母も父には言えない・・・
亭主関白もいいところ!
おもちゃ屋さんの前を通るたびに気になる存在
もしも買ってもらったら、名前は夢子ちゃんと付ける
想像しただけで、楽しい気分になれました。
親には何でも言えるような頃ではなかったので、欲しいな~という願望だけ。
あるとき家族で外食をした後、おもちゃ屋さんに行ったとき言ったんです。
怒ってばかりの父が機嫌のよいとき。
勇気を振り絞って・・・・
「このお人形さん欲しいな」
ところが、お父さんは「こんな下らない物なんか意味がない!」
「くだらないんだ・・・」私の心の声
意味のある物って何?
ショックでした・・・
それからは二度と欲しかったお人形さんの話をすることはなかった。
夏の暑い日、突然遠い親戚の叔父さんが訪ねてきました。
お土産は30センチぐらいの蛇。
柔らかい素材
何故これを選んだのでしょう・・・
色はピンクとグリーンのストライプ
今でも覚えてます。
大切にしてました。
見付からないように蛇と会話
夜は小さな布団をかけてあげて・・・
風邪をひないように。
そっと、おやつも食べさせてあげました。
尻尾の縫い目がほつれてしまったとき、
バンドエイドで応急処置。
このことは誰も知らない
家族にも言わない
友達にも言わない
自分だけの秘密
可愛がってたのが蛇ですよ。ヘビ。
今の私は身体に蛇(刺青)も入ってますけどね。
可愛いかは別の話。
子供が出来たら欲しいものは何でも買ってあげようと思ってました。
トラウマでしょうか・・・
案の定、うちの子は何不自由なく贅沢三昧の生活を送ってました。
良いのか悪いのかは分かりませんが…。
欲しかった可愛いお人形は派手な蛇に。
今となってはそれも忘れられない思い出。
蛇の名前は教えません(笑)
ナイショです。
続く
姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
姐さん「任侠」記
石原まい子