元極妻の隠された幼少期

元極道(親分)の妻ですが現在は静かな生活を娘と送っております。 幼少期から現在までを書いていきます。 時々つぶやき。時々晴れ雨曇り★ これは石原まい子の裏ブログです。 誰も読まないでください。

幼少期~極妻

石原まい子が通った荒れ狂う中学校

石原まい子の幼稚園から小学校時代の楽しくない想い出

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嫌いだった幼稚園

オオカミカット

本物の竹馬

鬼の夏休み

可愛がってた蛇

悲しい家庭科の時間

ひとりあやとり

兄妹喧嘩

ドンパチうるさい運動会

大親友

ショック

手紙

尊敬するのは怒ってばかりのお父さん

ライト4.19

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赤と黒の履歴書

恐怖に怯える卒リンの結末


こちらの記事
の続編

卒業式が近づいてくると、ソワソワしてる先生がいました。
挙動不審・・・
その落ち着きのなさは、過去の経験からでしょう。


私達はウキウキしてました。
毎年勢いがあるノリ
華の卒業式


今の時代、卒リンという言葉は無いでしょう・・・・
知らない人も多いはず。


卒業式にもらえるリング?指輪?
それなら嬉しい・・・
もらえるはずがありません。


卒業式に、リンチで「卒リン」
恐怖を感じてるのは先生達


いつの時代から始まったのか分かりませんが、決して楽しくない行事
楽しいはずがありません。


私自身、まったくもって興味がありませんでした。

先生だけでなく、生徒までドキドキしてるほど。

以前、卒リンのせいで、卒業式が延期か中止になりました。

普通なら先ず有りえないことでしょう。

うちの学校は異常でしたから・・・
すばらしく異常

みんなから嫌われてる理不尽な先生がターゲットの対象に。
誰が決めるという事でもなく、自然な流れ。


私達の世代は非常に悪かったので、今考えれば理不尽なのは間違いなく生徒。
先生ではないのは確かなこと。


学校で三年間まともに勉強した人は、ほんのわずか
可哀想な私達・・・・
勉強できる環境ではなかったですからね。


落書きだらけの校内、机も椅子も人数分なんて無い
黒板は愛羅武勇とか漢字の嵐
先生が消しても消しても変わらない


窓から勉強道具を常時投げてる奴もいました。
投げるのが好きな生徒がやたら多い

タバコの吸殻も投げ放題
シンナーの瓶や怪しい臭いのティッシュも・・・


教室にあるのは麻雀パイにトランプ、花札、タバコ、灰皿、お菓子、アンパン
可愛いアンパンマンならいいのに。


それが当たり前だった学校

慣れてくると、普通に感じてくるのもおかしい…


しかも授業に出ると文句を言う人間がいました。
真面目は出て行け!
ここにはマジメちゃんはいらない。


勉強したくても出来ない人が多かったのは現実

塾も不良の溜まり場

後にホンモノの不良になる男子も多々いました。

(不良とは関東でヤクザという意味)



卒業式が近くなれば、学校は更に色が付いてくる
派手すぎ 

決してお洒落ではない・・・



安いスプレー缶とペンキでの落書き
仕入先は得意な人間。
アンパン大好きな者


芸術的な学校とは程遠い
センスが良ければ芸術ともいえるかもしれません。


暴走族、横浜銀蝿、アイドルの名前

石原まい子


普段使わない漢字と意味のわからない絵
ビーバップやごくせんも顔負け
クローズなら役者がカッコいい。

そんな落書きを先生達は毎日消す作業をしてました。

楽な職業ではありませんね・・・


卒リンの話は何処へ・・・
はい。

私達の学年は前日に担任から、卒業式に出席したらいけない生徒の親に電話をしたのです。



強行突破して出席した場合は・・・卒業証書を渡さないという
数名いましたが、9割は無事に出席しました。


出席する条件の一つ

生徒全員、髪の色を黒くすること。


なんだかんだいって、いい先生が多かったような気がします。
担任は熱い先生。


結局、卒リンなんかありませんでした。

それどころか、みんなで書いた色紙と大きな花束を渡しました。

先生も私達も号泣です・・・


最高の卒業式でした。

終わり良ければすべて良し

先生もホッとしたことでしょう。


その後、落書きは生徒みんなで綺麗に消しました。
いい思い出です。



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赤と黒の履歴書

誕生日に買ってもらった単車での悲しい別れ

こちらの記事には多少書きました。
暴走族の話

もっと書くことはあるんですが、深く触れないようにしてるのは意味がございます。
後輩や友人が亡くなったからです。


16の誕生日に、親から買ってもらったCBR400
カッコイイ。

すごく喜んでました。


両親は中華料理屋を経営

私達は後輩の親のお店で、よくご馳走になってました。

お母さんもお父さんも優しくて。。


ピカピカに輝いたバイク

念願の新車


傷を付けるのが怖いので、ほんの少しだけ乗らせてもらった覚えがあります。

新品ですから緊張しちゃいます。
しかも自分のではないし・・・


みんなが乗っているのは中古でしたからね。
新車を乗ってるの人はいなかったような・・・

改造するので、中古で充分。
マフラーとかでお金がかかりますから。

ところが、誕生日に届いた翌日の朝・・・・・・

後輩の女の子から電話がかかってきました。

事故で死んだと・・・・・

まさか・・・

昨日は元気だった

あんなに喜んでいたのに・・・乗ったのは、たった一日


誕生日に買ってあげた両親は自分達の責任だと・・・
そんな・・・・・

その後、お店は閉めてしまいました。

お通夜には大勢の仲間が参列。
悲しすぎる・・・


私の友人も同じく単車で命を落としました。
仲間といる時ではなく1人で乗ってるとき。

夜中の出来事
その数時間前まで一緒でした。
みんなでいつもと変わらない話し。

Hydrangeas




口数が少ない友人
思いやりがあって、好かれてました。

1人で乗るときには、ついついスピードを出しすぎてしまう
だから、みんなによく言ってたんです。


単車が好きなのもわかる
事故を起こしたら死ぬかもしれないんだよ。


スピードは出しすぎないようにね。

まだ乗り慣れていないのに粋がって猛スピードを出し、回転して、脳に重症を負った者もいます。


遠い昔の話ですけど、忘れることはございません。

星になった友人、後輩。
天国で思いっきり走ってることでしょう。


石原まい子


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石原まい子の目次

暴走族と竹の子族の青春


私が15、16、17の時に地元の暴走族が走り出すと、うちの実家の前を通るときには必ずといって、私に頭を下げてました。
爆音が遠くから聞こえるので、外に出ます。


後輩達もいれば、先輩も。
私達は上下関係がしっかりしていました。

暴走族の仲間といえども、基本的なことが分からなければ相手にされないどころか、一緒に走ることは無理です。

協調性も大切

挨拶は礼儀正しく
基本!

1人だけ突っ走るのは、みんなに迷惑がかかる
これは何事においても同じ。

数十台の族車

多い時には100台200台が当たり前の時代
1年に1度、白浜での集会は1万台


単車や車の改造にお金が掛かります。
そのために仕事は頑張る。
そういう人間が多かった・・・

石原まい子

遊ぶときは遊ぶ
仕事は真面目にやる
稼ぐ

うちの前で何十台も来たときには、道路に出て行き、お説教も兼ねて話し込みます。

スピードを出さないように。オマワリさんには暴力を振るわないように。
目立ちたがり屋の集まりですからね。

スピードを出すのは走り屋
暴走族とはちがいます。

他所の暴走族と喧嘩になったときには勝つこと。
負ける喧嘩ならしないように。

そして、武器は使わない。等など・・・
これが私流の説教。

武器は走ってるときに持ってるだけの飾り物
それでいいんです。


竹の子族も楽しかった・・・
中学の時に流行りました。

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体育の時間はあって無いようなもの
授業そのものも同じでしたけどね・・・

竹の子の振り付け
曲に合わせて練習
笛を吹いて、かけ声を勝手に作る。

今でいうパラパラ
元祖パラパラは竹の子族です。

昔は振り付けが単純だったので覚えるのは簡単。
見せ場は原宿。

ギャラリーが凄い。
全国から見にくる人の山

人気の観光スポット
ギャラリーから見られるのがパワーの源

一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、一番の人気者
哀川翔、柳葉敏郎も、この場所からデビュー
かっこよかった。

14~15から原宿に行くのが日課でした。
週末の楽しみ。

故・沖田裕之くんがスーパーヒーローの時代
憧れてました。
写真を撮るにも、人が多くてなかなか撮れない・・・


竹の子族で踊りが一番上手かったヒロくん。
テレビでも話題になるほどでした。

竹の子をやってる人は独特のメイクをします。
目元には時間をかけます。
キツネ目仕様


全てが原色
衣装も手作り
気合い入ってました。
憧れの人の側で踊れるのは嬉しさ100倍


タレントになってからは竹の子族を卒業
寂しかった・・・
遠い人になってしまって。

それまでは身近に感じてましたから。

今の若者は竹の子族を知らないでしょうね・・・

私は竹の子もやりましたが、ローラー派。

今でもツイストは得意中の得意!

髪型は当然ながら、ポニーテール

ローラー派は、男がリーゼントにスカジャン
ポニーテールに大きなリボンの女子


あの頃は青春でした。
その後も青春は続きました。

輝くポニーテール時代。


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最初で最後の捜索願

こちらの記事の続き

たった2日間の家出
短い旅・・・

そして、戻った家には家族の姿が目に入りました。



母は優しい笑顔で迎えてくれました。
ちょっぴり照れくさい。

何事もなかったように「おかえりなさい」と・・・

自然と涙があふれてきました。
私だけではない。
目をこすっていたのを見てました。


涙を隠すかのように・・・
ごめんなさい。
お母さん。
大好きなのに泣かせてしまった。

どれほど私を心配したことでしょう・・・
朝から晩まで探し回ってたのを聞きました。

そして想像していた父の怒る顔
怖っ・・・

ですが、父は怒りませんでした。



置き手紙を何度も読んだようです。
本当に理解してくれたのかはわかりません。
でも、私なりに伝えたかった・・・
心の声を。

紫


口下手の父は黙ってました。

あまり目を合わせなかったですが、いつもとはちがう穏やかさ

私には何が言いたいのか伝わりました。

似てる性格だから。


母は、私達も直すところがあるから、これからは何でも言ってね。
何でも言えないのが本音。

いつものように優しい母の声



翌日、警察へ母と行きました。
2度目の警察訪問・・・
特別に悪い少女ではなかったのは確かなこと。


学校は極悪非道
それも仕方が無い
そんな地元だから。

綺麗にお化粧して、ロンタイのスーツに9cmのハイヒール
ロンタイとは、ロングのタイトスカート
流行っていたのかは不明

そんな服装が好きだった。
生意気な格好に生意気な態度。

15だからといって、子ども扱いされるのが嫌でした。
そんな年頃。
買ったばかりのスーツを自慢げに。。

婦警さんとも長い時間、話してたのを今でもはっきり覚えてます。
相談事もない。

婦警さんから質問の嵐。
友達は?
どこに行ってたの?


本当の事は話しませんでした。
友達の名前を言えば迷惑もかかる

どこに行ってたのかと聞かれたとき・・・
駅のバス停近くにあるベンチに2日間いました。と、テキトー

信じてるはずがありません。
それは承知のうえ。

質問の続き

お洒落なんだし、きれいな顔なんだから女優さんにでもなったら?

そんなに褒めても何もでないのに・・・・


女優もいいかもしれない。
プロダクションを紹介してくださいよ。と、小生意気な返答

夢を持つように言いたかったのでしょう。

将来は何がしたいの?とか聴いてましたからね。

すでに夢はありました。


私に対して、その後の両親はずいぶん変わりました。

なんだか腫れ物を触るような感じ。

そのときはそれで居心地がよかったような・・・
バカな勘違いですけどね。


捜索願を出されたのはそれが最初で最後でした。

尊敬するのは怒ってばかりのお父さん



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家出少女

15才のときに家出をしました。
もちろん、私なりの理由があります。

とても厳しかった父
そんな父に文句一つ言えない母
それほど怖かったのでしょう・・・

普通なら怒らなくてもいいような事でも怒鳴ります。
叱るのではなく怒る。

例えば、学校の友達から電話があっても、取りついでくれません…
わるい友達、よい友達
勝手に判断していた親


「今、まい子はいない 」
えっ・・・
私は目の前にいるのに・・・
それだけ言って電話を切ってしまう。


男子からの電話は誰でも無理でした。
いつも家にいない子みたい。

私から連絡をして、留守だったので、折り返してもらった電話
もちろん、携帯のない時代
公衆電話か家の電話

家からは殆んど電話した事がありません。
本当に・・・

話してると、誰と話してるんだ!

誰って、友達以外に誰がいるの?

そして勝手に受話器を切られる
電話は話すためのもの。
切るためのものではない。


お母さんに、うちは原始時代の親みたい。と、 何度も言ってたのを覚えてます。
実際、原始時代の親がどうなのかなんて知るわけがありません。

星空

時代と共に進化してない
子供を理解しようとしない

信じられていない
まだ15なのに・・・

お父さんやお母さんの時代とは違う
それが言いたかった…


自由がないという思い込み
家にいても楽しくなかった時期

お母さんは仕事で忙しい
お父さんは帰ってきても、あまり話さない。
笑顔の家族とはかけ離れていたような・・・


今考えれば自分勝手な理由かもしれない
何不自由なく育ててくれたのに…

ある日、私のことを理解しようとしない親に、置き手紙を書きました。
私が家出した理由

言いたいけど言えなかった事
見付からないように、荷物は最小限にしました。
そ~っと・・・


そして、帰って来ない我が子に焦ったのでしょう。
私は部屋を綺麗に片付けて、テーブルの上には手紙を残しました。


それを見付けた両親は、反省して泣いたらしい・・・。
心配性のお母さんは、思い当たる友達に電話を掛け続けた

私にとっては勇気ある決断、行動でした。
それしか方法はないと思ってましたから・・・


泣きながら書いた手紙
本音を伝えたかった


お母さんは、友達に「私達が悪かったから、どこにいるかだけでも教えてほしい」
それは耳に入りました。


大好きなお母さんが心配してる

わかっていたけれど、しばらく家から離れていたかのです。

そっとしておいてほしい・・・


だけど気になり、一度だけ電話をしました。

大丈夫だから。女の友達の家にいるから


それだけ伝えて切りました。

悲しそうなお母さんの声

「お父さんも怒らないから早く帰ってきなさい。」


家出しても楽しい時間は過ごせませんでした。

地元の友達と飲めないお酒を飲んだり・・・
先輩が働いてるパブに行ってみたり・・・


そして、家出してから2日目にして、、、まさかの捜索願を出されてしましました。

早すぎる・・・・・


私の青写真が撒かれました。

友達や先輩からも、「不味いんじゃないの?」
確かに・・・・


憂鬱な思いで帰ることを決意

きっと、お父さんからは又怒鳴られるにちがいない

でもお母さんのためを思うと帰るしかありませんでした。



親戚や兄妹、両親の友人達まで探していたらしいです。
喧嘩ばかりしてたお兄ちゃんも心配してました。

放っておく親も多いのに・・・・

私が気付かないだけで、愛されていたのでしょう。

そして帰宅。

両親は警察へすぐに電話

翌日に私は警察へと行く羽目になりました。


たった2日間の家出少女として。
正確にいえば2泊3日の小さな旅

続く



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愉快な挑戦状を叩き付けた結末


どうにもこうにもならない中学校
誰も変えることはできない・・・
とにかく悪い世代


ですが、今のような生徒同士の陰湿なイジメはありませんでした。
やるなら正々堂々と!

喧嘩の売り買いはありましたけどね。
よその学校とも抗争。
売られたら買うしか手段はないのです。


一度でも逃げたら、ずっと逃げなければなりません。
逃げていなくなった友達は1人だけいました。
仲間割れ。
絞められてました。


私はみんなで1人を殴る蹴るというのが嫌い
汚いやり方
もちろん参加しませんでした。


逃げ切ることは可能なようで不可能
しつこい人間もいましたからね。
反発できない子は、途中で転校。


私は何度もかばったんですけどね…
かばえば、かばうほど、面倒になることはに分かってました。

特に仲がいい訳でもないんですが、弱い者イジメは嫌いでしたから。
おかげで、矛先は予定通り私に・・・

見かけは強いが、弱い集団との戦争が勃発。
は~っ・・・
意気がって金髪にしてるだけで、中身が空っぽの女子集団
 

当時でも派閥はありました。
どこの誰と仲良くしようが、私の勝手。
人に言われて簡単に動くわけがない。


みんなに、アンタはどっちなの?とか、聞いてる変な奴もいました。
選挙でもやるつもり?
そんな器量もないのに・・・
 


どっちもこっちも、自分の道は自分で決めるもの。
それをわかってない奴ら
無理やり聞いて何が楽しいのか意味がわかりませんでした。



あまりにもムカついたので、チリチリ金髪の女をギャフンと言わせるため、アイロンを持って、挑戦状を叩き付けました。

スズメバチ

何故アイロンなのか・・・
アイロンの役目とは、きれいに真っ直ぐにすること。
いらないシワを取り除く。


チリチリ頭を真っ直ぐに伸ばしてやろうかと思いついた可愛い手段。
言葉使いが悪いですね
きれいに伸ばしてあげようかと・・・


少しは曲がった心も真っ直ぐになるのでは?
そんなバナナ
そんな馬鹿な。。

変わるはずがありません。
アイロンを思いついた私も可笑しい。


念力で曲がるのは、胡散臭いスプーン
曲がったスプーンは、そのあと簡単に折れますからね


そして待ちに待った、くだらないアイロン計画。

意外に楽しみでした。

相手がセーラー服の襟を掴んできたので、今しかない!
髪は目の前。
それが目的


殴り合いは疲れますから。
かかってくれば、相手にしちゃいますけどね。


そんな大事な時、仲のいい友達に持っててもらったアイロンが無い・・・・

何をやってるんだろう。。
あれだけ言ったのに・・・


ということで、アイロン計画は終了!
やる気が失せました。
思わず、「や~めた」と、放棄。


笑いながら又ね~と、サヨナラしました。
ムカついてた様子の相手
追いかけてきましたが、今度にしよう。と、私

可笑しくて仕方がなかったですね。
言ってる自分が。。

挑戦状は何処へやら・・・
かっこよく書いたんです。
習字。太い筆で・・・


そんな時代の中学校生活も終盤に入り、受験体制
受験には程遠い極悪学校
高校に行きたいと思ってる生徒は90%


遊んでる人間でも高校ぐらいは行きたいと思うのです。
行けるような学力がないのも当然。
高校に行きたいと思うのは自由。


中学一年の勉強すら分からない生徒も、とりあえず受験
受験料が勿体無いような。
ツケは必ず回ってきます。


今では考えられないでしょうが、中学浪人が多かったのが現実
卒業したあとは、働くか、結婚して子供を産むかという感じでした。
友達も高校には行かず、立て続けに3人出産


私は某私立女子短期大学に入学
中3の後半は真面目に受験勉強しました。
喧嘩なんかやってる場合ではない。


私立への入学
それが間違いの始まりだったのは後でわかります。
学校は見かけだけで選ぶものではありません。

もっとよく調べるべきだったのです。
しかも私には合わないレベル
無理しちゃいました・・・

人生までも変えてしまった高校と教師

続く


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窓なし、ドア無し、天井ありの中学校に消防車とパトカー出動

こちらの記事の続き

冬はストーブだったというかことは前の記事で書きました。
昭和の良き時代 

先生は基本的に嫌われ者的な扱い
でも、教室にあるストーブは人気者。
人気物。。


ヤクザの準構成員みたいな、やんちゃだらけ生徒の集まり。
ニグロやパンチは普通…
もちろん男子。

女子はカーリーヘア、他いろいろ。
お洒落な先輩はサーファーヘア
ツッパリですが、やはり顔はきれい

ワルの基本でしょうか。
美奈子先輩も綺麗でしたから。
顔は親のおかげ。


学年でも特別なワルが、寒い寒いと大騒ぎ。
誰のせいだと思ってるの?
寒いのは、あんた達が全部のクラスの廊下側ドア、 そのガラス窓を割ったから…


ストーブがついていても寒いのは当たり前。
隙間だらけなんてものじゃありません。

壁でさえ穴は開いてる。
ドアは壊されてる。
まともにあるのは天井ぐらい。


あまりの寒さに、段ボールをガムテープで窓の代わりにふさいでました。
頭を使って出た行動が単純。

変な学校・・・
挙げ句の果てには、教室の窓ガラスまで割って…
何を考えてるんだか。
おもしろいと思うのがおもしろくない。

カバ


みんな震えてました。
怖いのではなく、寒いからです。
マフラーして手袋したまま。

勉強する生徒も2割ぐらいでしたからね。

ワルの基本。
学ランの内側が赤と紫のサテン、そしてお決まりの龍の刺繍。
そのメンバーが集まり、何をしたかというと…

焚き火だと言い出して、ストーブの火でいろんな物を燃やし出しました。
授業という授業は無いに等しかったので、やり放題。

そしてまさかの事態に…
火の粉が教室のカーテンに飛び移ったんです。
一瞬の出来事。


あっという間に火の海寸前・・・
焦ってる人は居たような、いなかったような。

”あっ燃えてる ”
ある1人はアホなのか笑ってました。
笑い事ではない・・・


非常ベルは毎日鳴っていたので、誰も気にしません。
鳴りっぱなしの学校。
先生も、いつものイタズラかと思ってたんでしょうね。


そのうち、消防車と救急車のサイレンが鳴り響きました。
ヤバイでしょう・・・・

周りにいたみんながバケツで水をかけて消火活動。
消防隊員なみ。


やった人間は逃走。
逃げ足だけは速い。
とはいっても、校庭から見上げて笑顔の犯人。


そんな事があってからは、真冬の寒いときでもストーブ禁止。
最悪・・・・
カーテンは燃えて無くなってるし…

自分達で用意しなさい!と先生達は激怒
誰もが知らんぷり。

窓を開けなければ冬場ならカーテンは必要ない。
それが・・・窓も割れてたんです。

何度も新しい窓を取り付けても割ってしまう者がいる
窓なし、ドア無し、教科書なし。

机や椅子も校庭に投げる遊びが流行ってました。
水風船は投げ放題。

何故あのとき、燃えて大変な事になったのに・・・
ニュースで取り上げられなかったのでしょう。

もしかして、ニュースになっていたのかもしれませんが、
今のようにパソコンも携帯もなかったので知らないだけだったのかも・・・

事件ばかり起こしてた数人のワルは数年前、久しぶりに電話で話したら、私に敬語でした。
大人になったから?
散々、私と喧嘩して揉めた人間K野


MやKは組織に入って破門。
その後も新聞で見かけました。
もちろん悪いニュース。


人間は時と共に変わるものです。
地元で噂を聞いたようです。
私が極道の妻(組長の女房)という事。

それで態度が変わったのでしょう。
男のくせに・・・


その人間と電話を繋げた友人
その友人は某組織の親分と付き合いがある極道。

現在は長い懲役生活を送ってます。

今でも親友です。

ある事件により堅気に。

古い付き合いです。


生きて出所してください。
刑務所の中で死なないように。

石原まい子


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弱い者イジメ番長との喧嘩

こちらの記事の続き

授業は受けたい子だけが受ける。
それはお決まり。
先生達も呆れてましたが、どうにもなりません。

バイク


今の時代と違うのは、先生は呆れながらも必死で生徒に向かってきたのを覚えてます。
毎日が戦い。
生徒同士の喧嘩でも、見ない振りなどしません。


「おまえら、いい加減にしろ!」
同じ言葉を繰り返す。
言われても変わらない生徒達

非行学校。
極悪生徒


殴りあいなんて日常茶飯事…
喧嘩を見ない日はなかった。
教室や廊下、校庭、体育館
どこの場所でもやってることは一緒。


勉強なんかできる環境ではない。
頭がよくなることよりも、喧嘩が強くなることのほうが格が上がる。

先生が喧嘩してる生徒を止めようとして、血だらけになることもある。

生徒の制服も先生のワイシャツも血が付いてます。

スーツを着てこなくなる先生も増えてきました。
動きにくい、血が飛び散るから・・・
そんな理由


どんなことがあっても先生達は警察に電話したりしません。
電話1本で収まるのに・・・
骨を折った先生もいます。

それでも、ギブスを付けて学校を移ることなく通ってました。
お互い真剣だったんですよね・・・

私達も先生も。
放っておけば楽なのに・・・
放っておいてくれない先生

文句を言いながらも先生は嫌いじゃなかった。
みんなも面倒だと思いながらも好きだったはず。

殴られても教育委員会などに言う親も生徒もいない。
すべて自分持ち。
わかってるから。


私と仲のいい美人で大不良の先輩は、友達との喧嘩で相手が刃物を出してきたんです。
いきなり刃物を出してくる人間は弱い証拠。

素手では勝てないからでしょう。
強い者はハッタリなんか必要ない。
1対1なら当然のこと。


私も途中で騒ぎを聞き、駆けつけました。
美奈子先輩を守ろうと、相手が持ってる刃物を取ろうと瞬間・・・
「大丈夫だから離れて!」


そう言われました。
大丈夫じゃないのに・・・

自分でカタをつけたかったんだと思います。
人の力を借りないで・・・

私も後になって同じような揉め事があり、理解でしました。
自分のケツは自分で拭く
まさに女気。


廊下や階段は血がいっぱい・・・
壁も血だらけ。
いつもの光景と変わらない校内。
血を見ても驚かない人もいる。


慣れって怖い
静かな教室は学校が終わった夕方以降
 
包帯を巻いてる生徒もたくさんいます。
口先だけ達者で弱い者イジメをする人間も中学時代は多かった…


喧嘩の一つも出来ない子に限って威張り放題。
本当は弱いくせに…


そんな子から喧嘩を売られました。
私は完全にやる気なし。

売られた喧嘩は買うしかない。
逃げることは間違ってもしない。
逃げる意味がないから・・・


ギャラリーも集まり、凄い盛り上がり方。
負ける気がしない。

弱い者イジメの番長と喧嘩
先輩達に、おべっかばかり使ってる人間
許せるはずがない。

なめんなよ 裏

戦いのとき
タイマンです。
簡単に勝負はつきました。
負ける気がしない という、気持ちが勝ったんです。


私が勝って喜んでた友達も大勢いました。
イジメられてたりしてた子達は特にです。

なんせ、見た目だけのハッタリで、真面目に勉強してる子達をイジメていたんですからね。
弱い者イジメ番長を倒した私。


逆に倒された女子はみんなからの笑われ者に・・・
当然ながら彼女の仲間にも。

少しは大人しくなればいいのに。
そう思ってました。
私だけでなく、誰もが思ってたこと。


できることなら、殴り合いの喧嘩は避けたい・・・
疲れるから。

なんだかんだいっても、あの頃の先生は真剣でいい先生がいました。

今はそんな真剣に向ってくれる教師がいるのでしょうか・・・



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花札と麻雀と怪しい臭いがする教室

こちらの記事の続き

昔は各教室に大きなストーブがありました。
今みたいなシャレた暖房器具など置いてません。
電気ストーブもなかった・・・


漫画に出てくるような昔のストーブ。
やたら大きい煙突みたいな物が付いてました。

触ると火傷します。
鉄で出来てますからね。

朝は寒いので最初に行く場所がストーブ前。
うんこ座りが当たり前の時代。
みんな得意です。

長いスカートは床の上
ある意味、スカートで掃除してるようなもの。

ちなみに東京都内の中学校です。
地球温暖化とはかけ離れ、あの頃の冬は寒かった・・・
極冷え。


給食の時間になると、食パンをストーブで焼いてました。
なかなかいいアイディア

教室中、香ばしい匂い。
その頃の給食は、やけに食パンが多かったのは何故でしょう。

鯖の味噌煮と食パン、牛乳、ゼリー
おかしな組み合わせ。
白いご飯のときが少ない。


戦時中でもないのに・・・
不味いパン。
それを少しでも美味しく食べれるようにしたのがストーブ。

暖まる物
それなのに、制服やスカーフ、ハンカチも燃えてました。
普通なら大騒ぎしてるはず。

そこが普通ではない学校。
クラスの大半は楽しそう・・・


誰もが楽しい給食の時間

残念賞はパンの名脇役
バターなら嬉しい。
私の嫌いなマーガリン・・・


それでも付けるものがマーガリンか、たまにイチゴジャム、マーマレード、ハチミツ。
どれもイマイチ。
それの繰り返し。 


数少ない献立の中で好きなものといえば、

一番目が生クリーム、

二番がカレーライス、

三番がクリームシチュー。

鯨(クジラ)のステーキは頻繁に出てましたが、嫌われてたメニュー。
硬い・・・
見た目もよくない。

今は高級品ですけど、給食に鯨が出るとご機嫌斜め…
食欲が失せます。


献立表に唐揚げ、食パン、生クリーム 、牛乳・ヨーグルト
そんな日には大喜び。
生クリームの登場でテンションが高くなります。

あんな事もありました。

毎日出てくる不味いマーガリンは見るのも嫌でした。
うんざり・・・
必要ないのに。


パンに生クリームは最高な一品。
考案者に賞をあげたいぐらい。

給食前に自分達のクラスが多くなるように、他のクラスの生クリームが入ったボールを持って来ちゃいます。

早めに・・・

給食は自由に食べます。
そこが小学校と違うところ。

好きなものだけ食べる。


食べたくなったら外にパンを買いに行きます。
誰の許可も取らずに。。

勝って気まま
外出し放題。

学校には原チャリや単車が置いてあります。
いい音がするものばかり・・・
卒業した先輩は改造車で遊びにきてました。

それで校内も走り回る同級生達。

免許は取ったつもり。

16歳からなんですけどね・・


イメージとしては免許持ち。

標識も意味が分かってます。


暴走族

食後は花札やトランプ、麻雀などで遊ぶのは日常茶飯事。
授業はやりたい人だけが、先生の側に机を持っていくわけです。

1クラス45人前後
6クラスありました。
勉強したい生徒は1クラスに10人ぐらい

あとのみんなは教室で煙草を吸ったり、シンナー吸ったりと、いろんな匂いが…
一番好きな匂いは、食パンをストーブで焼いたとき。

因みにシンナーは嫌いでしたのでやりません。

歯が無くなってる人は数知れず・・・

教室の匂い
今でも覚えてます。
身体によくない匂い


校庭は排気ガスの匂い
改造車の臭いです。
単車を、ふかしてる男子。

口元には缶。
当たり前の光景でした。

続く

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トイレに呼び出された結末

こちらの記事の続き

兄は地元の中学には行かず、越境して普通の荒れてない中学へ。
私は離れたところには行きたくなかった。

通うのが大変という理由
もう一つは勉強。
レベルが高いところに行けば苦労するのは自分。

お母さんとは悪い中学には行かせたくないようでした。
最終的に決めたのは自分ですから。

レインボーアイス


入学して暫くした頃、先輩からの呼び出し。
一年生の数名が強烈に、ド迫力ある目立つ三年生から…
あぶない予感。


不思議とツッパリの先輩達の顔は綺麗な人が多い。
お化粧も上手くスタイル抜群。
みんなからは憧れの先輩。


憧れの先輩は喧嘩も強い。
勢いもある。
喧嘩慣れしていたのでしょう。

毎日のように喧嘩の嵐だった学校・・・

静かな時間はなかったですからね。


呼び出しの場所は、お決まりのトイレ。
うれしくない呼び出し・・・

トイレは綺麗とはかけ離れている。
掃除する人はいたような、いなかったような・・・


トイレの使い方が普通の学校とはちがいます。
悪さする者、ぶっとばすための場所


殴るは蹴るは・・・髪の毛まで引っ張り大忙しの先輩方。
痛いとかは言いません。

納得いかず最後まで謝りませんでした。
すみませんでした。と、謝れば終了。

私は、しめられたほうのがマシという感じでしたね。

その場にいた友達はサッサと謝ってました。


理不尽すぎて謝る気などありません。
逃げることなどしたくなかった。

有名な3年の先輩も恐いとは思いませんでした。
かっこいいとは思ってましたけどね。


その間、誰もその女子トイレには入ってくることが出来ません。
見張りが入口に何人も立ってます。

先生達も周りから騒ぎを聞いて駆け付けてきても出入り禁止。
廊下で先生と見張り数名が大喧嘩の大騒動。

暴れてる声や音が聞こえます。
そっちのほうが気になってましたね。


2つ上の先輩、三年生とはそれ以来、仲良くなりました。
ボコボコにぶっ飛ばされて仲良し。
そんな楽しい時代でした。



殴られて口から血が出ても痛いと思わなかった。
早く終わらないかな… 時間が気になる。
心の中で思っていたこと。



初めての煙草は中学一年のとき。
セブンスター、赤ラーク。

最初はゴホゴホ咳こんでたのを覚えてます。


特に美味しいとも思わない。
なんとなく・・・
タバコが学校のどこかに置いてあるから。


机や本棚の上などにも普通に並んでるタバコ
もちろん、先生は役目として見れば職員室に持って行ってましたけどね。


それを知ってる生徒達
そのすぐ後に職員室に回収しに行きます。

たばこ、、やめればいいのに…
興味本意と格好つけたかったんでしょう。私。
今みたいに軽い煙草なんてなかったですし、銘柄は数えられるぐらい少なかった。



三年生に認められると恐いもの無し。
根性ありと認定済。

何かあっても守ってくれたりしてくれました。
その代わり、一つ上の二年生とは合わなかった…
嫌い。



ほとんど二年生とは口も聞かず、挨拶もしません。
する気にもなれない・・・

弱いのに弱い者イジメとかしてる二年の先輩

1人だけ、有名な大不良な先輩とは仲が良かった。
幼なじみでしたからね。

小学校までは美奈子ちゃんと呼んでいたのに・・
中学に入ってからは、ちゃん付けでは呼べない。


それぐらい有名
でも私には変わらず優しかった。

美奈子ちゃんは両親に育てられていない・・
お祖母ちゃんに育てられていました。


美奈子ちゃんが親に捨てられたと知ったときから変わりました。
まさか優しかった美奈子ちゃんが、あんなにグレるとは・・・

毎日のように喧嘩ばかり
血だらけになったときは、涙が出そうになりました。

刃物を持って、先生と喧嘩
悔し涙を流していたのを見たことがあります。

幼い頃の話や親の話を周りには言わない
言いたくなったんだと思う。

同情されたくない
たぶんそんな気持ちだと思います。



後に、美奈子先輩がモデルになってました。
嬉しかった。

美人は喧嘩が強い。

強くならなくては・・
その頃から勝手な思い込みをしてました。



続く


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中学はセーラー服に機関銃


小学校を卒業して、いよいよ中学校。
ふふっ
新しい友達との出会いも楽しみの一つでした。
 
仲の良い友達とも離ればなれ。
不安も少々
なんせ荒れていた学校・・・

当時はテレビや新聞でもニュースになっていたぐらい。
校内暴力

教師との戦いは日常茶飯事
入学して間もないときは新鮮・・・
それも1週間で終了。


ありえない程のワルが大半の学校。
ドラマでやってるような事は甘い・・・
校内全てが落書きだらけ


上下関係が異常に厳しい
目を付けられたら最後

意味もなくしめられる
リンチ、生意気という言葉が飛び交った時期

一年生の時は担任に恵まれました。
熱血先生。
金八先生そのもの。


みんなで休みの日には先生の家に遊びに行ったり
楽しかった・・・

入学当時は純粋な気持ちだったはず。
そのうち変わっていくのです。

真面目だった子も・・・
そんな学校に染まるのも早い。

誰もが恐れる地域の学校
有名です。

今でも場所を言うと、悪いところだよね・・・・
それほど荒れてたのです。

入学するときに流行っていたスタイル…
男子はパンチパーマ、リーゼント、ニグロ
まるでヤクザ。

パンチパーマ


女子は茶髪、金髪、たまに脱色しすぎて白。
髪型は、カーリーヘア、リーゼント、たまにアフロ(笑)
アフロは勇気あるスタイル


3年の先輩(女子)はカッコよく決めてました。
無口で、誰も近寄らない・・・

一匹狼
女子ですけどね。


今のようにブレザーなんてない。
どこの学校もセーラー服
因みに公立。


セーラー服のスカートの長さ
床上10cm
超ロングのスカート。


上のセーラーは短いのがカッコイイ
普通の長さにしてるのは最初だけ。

はずかしいから、すぐに短く縫い付ける。
1年の間は短すぎても目を付けられるので注意。
上下関係は大切


袖は二回に折り、冬でも腕まくり。
セーラーの中に着てるのは色付きのTシャツ

程よく見えたときの色がお洒落と思ってた時期。
スカートは長いので、足も靴下も殆んど見えません。
夏は暑い。


ほんの少し見える靴下は紫や赤。
時にラメ入り。
白は汚れやすい。


男子の学ラン
刺青の和柄に似た感じの刺繍いり。
圧倒的に人気なのが龍。


お金をかけるところがちがう。
親からもらったお金?

学ランの内側は光沢のある素材。
紫と赤はお約束。

みんな、入学式は普通だったのに・・・
変わっていくのは時間の問題でした。 
既に狂ったように荒れてた中学校は更に荒れまくる。

それが私達の時代


続く



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尊敬するのは怒ってばかりのお父さん

私の書籍にも書いてあるように、厳格なお父さん。
怖い存在。

多少の博打はしてましたが、法に触れるようなことはしません。
根が真面目。

気性は荒いですが、真っ直ぐで仕事一筋。
仕事場では下の者には厳しく怒鳴ることは日常茶飯事。

親分肌
社長からは好かれていたようです。
喧嘩っぱやいのがたまに瑕(キズ)

そこは私も似てしまったのかもしれません。
30代まではイケイケでしたから。

お父さんは仕事が終わると真っ直ぐに帰ってきてました。
仕事仲間に誘われても断る
あんなに好きなお酒でも、外で飲むのは苦手なようでした。


たまには飲み屋に行ってくればいいのに・・・
おもしろくないないから行かないの一言。
協調性に欠けてるのでは?と、思うほど。


家では必ず飲みます。
家でしか飲みません。
親戚や身内とは飲むんですけどね。


せめてもの楽しみがお酒と麻雀
趣味はない・・・
仕事なのかもしれません。


定年になったらどうするんだろう・・・
家族で話してました。
ずいぶん昔に定年を迎えた父

やはり、趣味がないため、つまらなそうな感じ

怖かった父でしたが、子供の頃にツラい過去があります。
悲しい真実
大人になって聞かされました。


お姉ちゃんとお父さんは産みの親、お母さんに育てられました。
子供の頃、お父さんだけが奉公に出され、親から見捨てられた・・・

そんなお母さんでも好きだった父
勉強も一生懸命やって成績も優秀。

頭のよい高校に受験して合格。
本当に行きたかった学校は青山だったそうです。

お金を出してもらえず、公立の高校に・・・
今でもレベルは高い学校。

卒業したことを聞いたのは最近です。


親の愛情を受けてないお父さん
幼少期の話をしたがりません。

お母さんから聞きました。
妹も私も聞くたびに涙が出てきます。

たまにですが、お父さんに昔の話を聞きます。
私が知らない時代

興味津々
楽しく話す時は仕事のこと。
お父さんの家族の話になると黙ってしまいます。


いつもとちがう空気
怒りっぽいお父さんが寂しそうな顔に・・・

幼い時から働かせられて、勉強もして楽しい思い出なんか何一つなかった父…
旅行や遊園地にも行った覚えがないようです。

それに比べたら、クリスマスや誕生日パーティー
たまに行く旅行は贅沢だったのかもしれない。

メリーゴーランド


家族にも厳しいけど、家族のために何かを作ろうとしていたのです。

お母さんと結婚してから何が変わったのかはわかりません。
遠い昔を知りませんからね。

気性の激しいお父さん
怒ってばかりのお父さん
欲しいお人形を買ってくれなかったお父さん


それでも、私が尊敬する人はお父さんなんです。
後ろ姿を見ていたはずなのに、道を反れてしまった私…


私の言い分もあります。
信じられないぐらいの厳しさ
原始時代の親かと思うぐらいでした。

それはお母さんも同じ。
お母さんの場合は、私達がお父さんに怒られないようにするため

学校で何かあっても相談した事はありません。
(子供の頃)


お母さんはお父さんに逆らうことも出来ない。
言えば怒鳴られるからという思い込みの理由。

襖(ふすま)が少し剥がれてもバレないように隠してました。
仕事から帰ってくるまでに急いで直す。

5時半ジャストに帰宅するお父さん
時間前にはダッシュで靴をきれいに並べて、ゴミ一つないようにしてました。

女房の鏡

機嫌が悪くならないように、余計なこと一つ言わないで隠してばかりの母。
そんな生活をしても別れない…

よく我慢できるな…
「こんな思いをするなら離婚すれば?」
そんなふうに言ったことがあります。


お母さんが殴られて初めての家出
私はお父さんに泣きながら怒りました。

お母さんを泣かせないで!
お父さんなんか大嫌い!

黙ってました。
お兄ちゃんもお父さんには反発ができなかった・・・

そのときの私はお父さんのことを怖いとか、そんな思いは消えていた。

守るしかない
私なら言える、今言わなければ変わらない。
子供から大嫌いと言われたのはショックだったみたい・・・


私は大人になってから我慢を覚えました。
必要のない我慢も・・・

それも自分が選んだ道ですから仕方がありません。

お母さんも我慢強い
私とは意味合いがちがうかもしれません。

愛する人に尽くすのは母譲り。
一途ですからね。

親の言うことも聞かず勝手に家を出て心配ばかり掛けてきました。
心配してくれる両親がいることに感謝してます。

余計な心配ばかりかけてしまいましたが・・・
普通の人では味わう事がなかったでしょう。

堅気の人と一緒にならなかったわけですから。
今になって、ようやくですが安心してると思います。

仲が良かったのに諸々の事情で離婚してしまいましたけど・・・
それも運命。

今は精神的に疲れない生活を過ごしてます。
数年前の私とはずいぶん変わりました。

最後まで支えてくれた家族のおかげです。
怖いものはありません。
私は大丈夫。



今まで心配ばかり掛けてごめんなさい。
大好きなお父さん、ありがとう。


石原まい子

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手紙

こちらの記事の続き

あいかわらず学校の帰りに商店街中を聞いて回った…
ところが月日が経つにつれて、冷たい大人

魚屋のおじさん「全然わからないから」
何にかを隠してそう…

今までなら優しく声をかけてくれたのに…

ある日、手紙が届きました。
エミちゃんからです!

嬉しい。

二度と連絡がとれないかもしれない
そう思ってましたから。

内容は「まい子ごめんね。
お父さんが死んじゃってから、誰とも話さなかったの…
お母さんから、誰にも住所を教えたらダメって言われてた」


便せん二枚の手紙
一枚は私とエミちゃんの顔が書いてある絵

楽しそうな、あの頃の二人
エミちゃんは忘れてはいなかった。
よかった…

その手紙の最後には、今住んでいる住所が書いてありました。

誰にも教えないでね。
ナイショだから

東京からは居なくなっていた。
八王子
行ったことのない場所

借金から逃れるために行動に移したエミちゃんのお母さん
そんな大きな額ではないようでした。

派手で話し好きのおばさんは水商売で働いていたらしい

仲良しに見えた商店街のみんな
おじさんが自殺してからは急に態度が変わった。


おばさんの悪口も言いたい放題
影でコソコソ

ズルい。
おばさんだって、おじさんが死んでからツラくて悲しい思いをしてたのに…


自分勝手な大人達
涙の一つも流せないないんて…
美味しい天麩羅も特別にサービスしてもらっていたくせに…


その頃から大人になんかなりたくない
そう思うようになりました。

表の顔と裏の顔
私の両親は真っ直ぐな性格
裏も表もない。


あれから連絡を取り合って、久しぶりに再会したのが、中学一年生

新宿で待ち合わせ
駅ビルがマイシティの時代
今はルミネ

歩きながらいろんな話をしました。

バレリーナになりたかったエミちゃんのお姉ちゃんは、グレてしまった
そうなんだ・・・
おじさんが亡くなってから変わってしまったらしい…


エミちゃんとは、それが最後。
引っ越しを繰り返し、今は何処にいるかわからない…

会いたいと思う友達
探してます。
恵美子ちゃん。

幸せになってるといいな。

ポインセチア


恵美子ちゃんのお父さんへ
たくさんの楽しい想い出は忘れません。
美味しいご飯を食べてるときは幸せでした。

きっと天国でエミちゃんを見守ってるでしょうね。
ありがとうございました。

石原まい子


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ショック

こちらの記事の続き。

朝早く一本の電話が鳴りました。
出たのはお母さん
何か様子が変…

「まい子、大変よ。エミちゃんのお父さんが…自殺したって…」

私「エミちゃんの所に行ってくる。」
お母さんからは止められた…

今は行かないほうがいい
私は前の日も変わらず、エミちゃんの家に遊びに行っていました。
私が好きな海老を多めに入れてくれた天丼

ご飯は少なめで。
好きなだけ食べなさい
遠慮しなくていいから。

夕飯はエミちゃんと一緒でした。
1ヶ月に何回かは泊まりに。

あの時、五百円もらいました。
今とはお金の価値がちがいます。

40年近く前

「おじさん、こんなにいいよ。持ってるから大丈夫」
「いいから、しまっておきなさい。」

これが最後の会話でした。

お通し


もしあの時、私が泊まっていたら…
死ななかったのかな…

何があったのか分かりませんでした。
何で…何で…

お母さんに内緒でエミちゃんの家まで走りました。
そしたら、パトカーや救急車が止まってました。

エミちゃんの姿が見えない
商店街は人の山
私は中に入る勇気がなかった…

家に戻ったらお母さんは電話中

後で聞いた詳しい話。
朝、エミちゃんのお姉ちゃんが一階のトイレに入って、扉を開けたら…
おじさんが首を吊っていたらしい…


それを聞いてショックだった…
私よりエミちゃんやお姉ちゃん、おばさんは立ち直れないぐらいショックなはず…

御通夜、御葬式には学校の友達みんなで行きました。
ずっと泣いているエミちゃんとお姉ちゃん
声をかけられなかった…

遺影の写真は、いつも優しいおじさんの笑顔
涙が止まらない…

家族がいるのに何で死んじゃったの…
悲しすぎる…

みんなで遊園地やプールにも行って楽しかったのに…
しばらくして、エミちゃんの家は売りに出されてました。

学校にも来ない
電話しても繋がらない
どこにいるのか分からない…

何も言わないでいなくなってしまった…
あれだけ仲良しだったのに…

私はどうしてもエミちゃんと連絡が取りたくて探し回りました。
商店街のお魚屋さん、隣のサンドイッチ屋さん、八百屋さん、裏のお家まで。

みんな仲がよかったはず
それなのに誰も居場所も連絡先も分からない…

1人で毎日のように聞いて回った。
何か手がかりがあるはず。

続く

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ドンパチうるさい運動会

子供なら誰もが楽しい運動会。
前日には嬉しくて眠れない

雨が降って中止になればいいのに・・・
そう思ってる子供
私はあいにく、運動会が嫌いでした。


何故なのか・・・・
全てが憂鬱…
運動会の準備も練習も、何一つ面白いとは思わなかった…

そもそも体操着に着替えるのがイヤでしたね。
隠れながら着替えるみたいな・・・

可愛い体操着なら少しは気分がちがうかもしれません。
上が白で紺色のブルマ
恥ずかしい・・・

それを運動会で着ること自体が変な気持ち
私だけでしょうか・・・

敢えて言うなら飾る花を作るのは好きなほうでした。
女子の役割
薄紙で作った紅白の花

牡丹のようで牡丹じゃない
薔薇のようで薔薇じゃない
菊のようで菊じゃない


あれはいったい何の花なんでしょう。
コツコツと花を作り続けること数時間×数日=数百個

運動会の練習をするよりはマシでした。
器用なほうではないので、あまり綺麗な花にはならなかった・・・

上手な友達は早くて綺麗
わ~。キレイな花。
すごい上手。

褒めまくり
上手に出来て”うらやましい”とか思う性格ではなかった。

只、作るのが遅いため、器用な子から嫌味を言われたのです。
これしか出来てないの?
綺麗じゃないからみんなで作り直そう!とか・・・

それを聞いても言い返すことはなかった。
その場の冷たい雰囲気が嫌で、教室から出る羽目に・・・

運動会のお昼も苦手。
今みたいにキャラ弁なんてないし。
お弁当は好きじゃない。

あの時の思いが・・・・

キャラ弁


リレー・徒競走、一番嫌いな種目です。
マラソンも嫌いでしたからね・・・
練習なんかしても、速い人は決まってます。

どうせリレーの選手には選ばれるわけがない…
自分が一番よくわかっている。

思いっ切り走っても途中でドンドン抜かれて行く。
短距離は得意なほうです。
私にとって100mは長距離。

性格が短期集中型。
短気ではなく短期

運動会の徒競走・リレーで掛かる音楽が最悪…

タンタンターン タンタンターン
タンタンタンタンタン
タッタラタッタ タッターター
ターラ ターラ ターラ タタタ♪

楽しそうな音符マーク
実に楽しくない・・・・
何であの音楽なのかな・・・

身体によくない
先生が手にしてるピストル(チャカ)
尋常じゃない程うるさい。


パンパンパンパンと音が耳にこびりつく。
心臓にいいわけがない
「ヨーイドン」の掛け声
それだけで良かったのに…


小学校時代
一等になった記憶がありません。
二等ならラッキー


早く終わらないかな…
そんなことばり考えてました。

運動会は私に向いてない
勝手に決めつけてました。

でも、本当は1度でもいいからリレーの選手をやりたかった
補欠でもいいから・・・
心の声が届くことはありませんでした。


追記
練習が厳しいなんてものじゃありません。
出来ないと殴られてましたから
クラスのみんなも怯えてました。

居残りは当たり前
反抗する生徒なんていません。
勇気ある行動に出たら大変なことに・・・


毎日のように、顔をひっぱたくか、グーで頭を殴るんです…
ストレス発散の場が学校だったのでしょうか。

小学生を殴る
私達は親よりも怖いと思っていました。
親も怖いのに・・・

先生に嫌われていた子は1日に何発も何十発も殴られてました。
誰も止めることはできません。

その子は耐えてましたが、いつの頃か転校してきました。

今の時代とは違って殴られても、親には言いません。
私は何故か先生には好かれてました。


好かれるような事は何一つしなかったんですけどね
担任が代わることを誰もが祈ってました。

なんと2年連続、同じ先生に・・・・

思うようにならないのが人生です。

★★★★★

極道の世界に入ってから、何丁も並べたチャカを見ても怖いと思いませんでした。

弾いた音は…何度聞いても好きじゃありません。

耳を塞ぐことはなかったです。

ドンパチは戦争ですからね。
緊張と不安が過ります。
弾いた音を聞かなくなった現在、ようやく静かな生活を送れるようになりました。


石原まい子


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兄妹喧嘩5

私には三つ上の兄がいます。
頭がいいけど、通信簿には毎回のように「落ち着きがない」と書かれていました。

実はお兄ちゃんと犬猿の仲
話せば喧嘩ばかり…

力では負ける
宿題も、分からないから聞いてるのに途中で怒りだす。

短気にも程がある。
怒り方はお父さんによく似ています。
鬼みたい…

なるべく近付かないようにしてました。
めんどくさいから。

お母さんも困ってたし… お兄ちゃんもお父さんも怒りんぼから。

ある日の大喧嘩
あまりにも腹が立って、何をすれば気が済むか考えました。

玄関先でぶっとばされた私
仲裁に入ったのはお母さん
早く離れて!まい子も自分の部屋に行きなさい。

私は悔し泣き
どうにもこうにも気持ちが収まらない…

お兄ちゃんが気に入っていた靴を自負の部屋がある三階から思いっきり投げたのです。

とりあえず片方だけ
それでもイライラして、もう片方の靴は土手に投げました。

ばーか…
お兄ちゃんなんか大嫌い!!
家に戻ってからは何だか落ち着かない。

何故だろう…
やっぱり、投げた靴が気になる。

気にいってたはず。
どうしよう…
罪悪感が芽生える

しばらくして、お兄ちゃんが謝りにきました。
いつもならゴメンなんて、絶対に言わないのに…

下を向いたまま何も言えず。
夜の8時頃にソーッと抜け出して、泣きながら投げた靴を拾いに行きました。

無い 無い 無い
暗いし、どこに目掛けて投げたのか分からない…

喧嘩したときの怒りは消えていた。

部屋から投げた靴は裏の家の屋根に乗っていたので、例の竹馬で引っ掛けて取ることに成功。
誰にも見られていない。

よかった~

翌日お兄ちゃんは無くなった靴を探してました。
しかも見つからないのは片方の靴

結局最後まで言い出せませんでした。
あの日から30年後ぐらいに、お母さんとお兄ちゃんに話しました。

アリとキリギリス


そんな事があったのは覚えてないみたい。
私の中では、ずっと忘れることができないままでした。

謝るって、簡単なようで簡単じゃない
ごめんなさいの一言
なかなか言い出せない性格

謝らないで、得することなんてないのに。
損をすることばかり。

あんなに仲の悪かったお兄ちゃんは、極道の世界に入った私をずっと心配してくれてました。
余計な事を口には出しませんでしたけどね。

石原まい子

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ひとりあやとり5

あやとりが流行った時代
小学生の頃、休み時間になると女子はみんなやってました。

男子は何をしていたのか覚えていない。

私も一緒になってやろうとするんですが難しい…
器用な子は、あっという間にスゴい技をを披露。
どこで覚えたのかな・・・

ポカーン…
あまりの早業に何を作っているのか分からない。
早いことが自慢?

ゆっくりやってもらって自分も同じようにやってみました。
「ひとりあやとり」の三番目の技になるとアウト。
難しい・・・

網・川・富士山・蝶・東京タワー・橋・ゴム
網(あみ)とは何?って感じ。

漁師さんは、あやとりなんかやるはずがない・・・
赤い太めの毛糸で網作り。

みんなでやる時は途中で誰かつまずくとヒントを出す子がいます。
聞いてもいないのに・・・

私は思い出せなくても、そのヒントを言われるのがイヤでした。

ヒントを出されたうえに分からなかったら自分が情けなくなります…
お願いだから黙っていてほしい・・・
もう少しで思い出すのに…

ハロウィン1

こうなったら、家に帰って早速あやとりの猛特訓です。
お人形はダメでも、あやとりの本は買ってもらいました。
わかりやすい本。

1日中あやとり
完璧に出来るようになるまでは楽しくない。
指がおかしくなりそう・・・

誰にも頼らず、本当の1人あやとり(笑)
孤独との戦い
ところがコツを覚えた途端にスイスイと出来るようになりました。


嬉しい…
1人で大喜び。
これなら大丈夫。
初めて披露したのが、お母さんの前です。


「スゴいわね~天才じゃない」
天才とまで言われてしまった私。
さすが、親。
褒められると更に頑張る


私は覚えるまでが普通の人より時間が掛かります。
だから人の何倍もの努力が必要。
出来なければ出来ないまま

さみしい思いをするのは自分
それが嫌で猛練習します。

学校に行ってみんなの前で見せた時は驚いてました。
なんとなく自慢気。
自称あやとり名人。

心の中で叫びました。
やった~!
やれば富士山だって、蝶だって何だって作れちゃう。

あやとりの小さな世界
子供ながらに奥が深いなと感じた瞬間

1人あやとりではなく、みんなあやとり
独りは寂しいけど1人なら大丈夫。

1人と独りはちがいますからね。

大人になったら、あやを付けたとか、嫌な言葉が飛び交ってます…
極道の世界では普通に使ってましたね。

あやを付けるの意味⇒言いがかりを付ける



姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
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悲しい家庭科の時間

小学校の4年生になると、家庭科の時間が楽しみです。
何故かというと、調理実習が始まります。

お裁縫が苦手な私
けれど、お料理を作るのは大好き。
本を読んだりして何気に勉強してました。

調理実習がスイーツと決まった時には嬉しくてたまりません。
毎日のようにカレンダーを見てました。

初めての実習ですからね。
作るのはクレープに決定!

今のようにクレープ屋さんがない時代…
もうワクワクですよ。

グループごとで作ります。
前の週に他のクラスがクレープを作ったので、一口もらって食べたんです。

美味しい~
生クリームとバナナ入り
チョコレートも掛かってました。
匂いでもたまらない。

私も同じように作るき満々です。
各グループそれぞれ5人ぐらいはいました。
決めたのは先生。

普段あまり話さないグループと一緒。
「美味しく出来ればそれでいい・・」
目的は食べること。

材料を分担してました。
そして待ちにまった調理実習。

あちらこちらで甘~い匂いがしてきてます。
何だか私のグループは、みんな動くのが遅い、静かすぎ…

もう・・・・

他は出来上がってるのに…
早くしなきゃと焦るばかり。

なんと、バナナを持って来る子が忘れてきてしまったのです…
最悪・・・

「ばか…一番大切な物を忘れるなんて」
一生懸命、生クリームも機械を使わず作ったのに…

当時、ハンドミキサーなんて学校にはなかった。
なかなか泡立たない生クリーム…
思ったより大変

それでも美味しくできるためには必死。

私がバナナを持ってくればよかった・・・
他のグループの子が缶詰のサクランボをくれたのです。

よりによって缶詰のサクランボとは…
うれしくない
美味しくないし・・・

あれは飾り用にしか見てなかった。
何もないよりかはマシ?

やる気のないグループに入ってしまったのが間違いでした。

みんな暗いし、楽しくないのかな?

何で・・・・


クレープの生地を焼き、生クリームを入れてサクランボは飾りに2つ。

見た目が寂しい・・
あ~あっ。


他の子達は「美味しい」と騒いでる。
あれだけ楽しみにしていたのに、いざとなったら食欲が失せました。

お好み焼きみたいな生地の厚さ。
柔らかくもない・・・
固まった小麦粉が点々としている。

先生が食べた感想を聞きにきました。
「美味しく出来ましたか?」
シ~ン・・・・

不味い…
不味すぎる
感想を言う気にもなれない。

「食べきれない子はお家に持って帰って、お母さんに食べてもらいなさいね」

中身がないクレープ
しかも美味しくない
本当に・・・

そんなものを渡せるはずがありません。
アルミホイルに包み、ランドセルに入れました。
奥のほうに・・・

家についたら何も言わず、机の引き出しに隠しました…
見付からないように。

結局、家のゴミ箱には捨てることが出来ずじまい。
どこに捨てるべきか・・・

数時間なやんで、外の排水口みたいな所に捨てました。

近所の人に見られないかドキドキ

お母さんは、私が学校でクレープを作ったのを知らないまま…。
それでよかったと思ったのは幼い考えかもしれない

現在この年齢でもクレープが好きなのは逆トラウマ(笑)
美味しいクレープしか食べません。

クレープ サンタ

明るくて元気でしたが、この頃までは内気だったのです。
かわいい年頃

楽しみしていた調理実習が悲しい時間に変わった思い出。

因みに現在のわたくしの娘は19。
ケーキ作りは得意です。

姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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可愛がってた蛇

女の子なら誰もが欲しがるお人形。
幼い頃の私も欲しかったお人形がありました。

髪が長くてキラキラのドレスを着た可愛いお人形。

着せ替えの洋服もあります。
欲しい・・・

うちは決して貧乏な家庭ではありません。
父は異常なほど厳しかったので、欲しいものは何でも買ってくれるという性格ではなかった…

だから簡単には言えませんでした。
母には言ってたんですけどね。

そんな母も父には言えない・・・
亭主関白もいいところ!

おもちゃ屋さんの前を通るたびに気になる存在

もしも買ってもらったら、名前は夢子ちゃんと付ける
想像しただけで、楽しい気分になれました。

親には何でも言えるような頃ではなかったので、欲しいな~という願望だけ。

あるとき家族で外食をした後、おもちゃ屋さんに行ったとき言ったんです。
怒ってばかりの父が機嫌のよいとき。

勇気を振り絞って・・・・
「このお人形さん欲しいな」


ところが、お父さんは「こんな下らない物なんか意味がない!」

「くだらないんだ・・・」私の心の声
意味のある物って何?

ショックでした・・・
それからは二度と欲しかったお人形さんの話をすることはなかった。

夏の暑い日、突然遠い親戚の叔父さんが訪ねてきました。
お土産は30センチぐらいの蛇。
柔らかい素材

何故これを選んだのでしょう・・・

色はピンクとグリーンのストライプ
今でも覚えてます。
大切にしてました。

見付からないように蛇と会話
夜は小さな布団をかけてあげて・・・
風邪をひないように。

そっと、おやつも食べさせてあげました。
尻尾の縫い目がほつれてしまったとき、
バンドエイドで応急処置。

このことは誰も知らない

家族にも言わない
友達にも言わない
自分だけの秘密

可愛がってたのが蛇ですよ。ヘビ。
今の私は身体に蛇(刺青)も入ってますけどね。
可愛いかは別の話。

蛇イラスト


子供が出来たら欲しいものは何でも買ってあげようと思ってました。
トラウマでしょうか・・・

案の定、うちの子は何不自由なく贅沢三昧の生活を送ってました。
良いのか悪いのかは分かりませんが…。

欲しかった可愛いお人形は派手な蛇に。
今となってはそれも忘れられない思い出。
蛇の名前は教えません(笑)
ナイショです。

続く

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鬼の夏休み

小学校の夏休み
普通なら楽しくて当たり前。
学校に行かないのは嬉しいんですが、夏休みプールです。
1週間のうち最低でも3回は行かなくてはいけません。

要領よく休んでる子もいたんです。
私はそれが出来ませんでした。
休めば又プールに沈められる・・・・

先生が有名な鬼コーチ…
私の担任は自分のクラス全員が一級もしくは特級

それを取らなくてはいけないと決めていたのです。
オリンピックに出るわけでもないのに・・・

無級から~1級
誰が考えたのか特級まであります。
同じ特級なら特休でお願いしたいぐらい。

クロール500m
平泳ぎ 500m
背泳ぎ 200m
バタフライ 50m
潜水 50m

小学生だという事を先生は理解してほしい。

納得いかないのが潜水
「なんで、プールの底を泳がなきゃいけないのか…」
不思議というか複雑な気持ちでした。


水の中で無心にもなれず、早く帰りたいとしか思ってませんでした。
そもそも、息を止める我慢大会のようなものです。

苦しくなって立ってしまうと、先生が頭を押さえつけて沈められるのです…

最低・・・・・

苦しんでる生徒を沈めるなんて、虐待もいいとこだ。
それでも言う事を聞かなければいけない時代。
親にも言えない。

嫌々、スイミングスクールにも通い、早く泳げるように練習しました。
そこに通うのも憂鬱・・・
ビートバンから始まって、又もや潜り
どこへ行っても息苦しい。

スイミングスクールに行ったおかげで潜水と背泳ぎは得意になりました。

顔が上を向いていられる背泳ぎは楽しいほうです。

潜水なんか誰にも自慢できません。
よくわからない競技。

バタフライ、名前の由来はバッタなのか蝶なのか分かりませんが苦手でした。

カラスアゲハ

水泳選手じゃないのに…
バタフライなんて、私が泳いだらバダバタするだけです…。
恥ずかしいだけ。

異常に上手い男子もいました。
若干一名
それを見てもカッコイイとも思いません。

子供のくせして大人みたいな体つき
キモッ・・・

何とか高学年には特級を取ることが出来ました。
しかも無理矢理。

途中でリタイアしようなんてことはできません。
歩いてでも前へ進めと言われてしまう。

歩いたら特級の意味がないのに・・・・
マジで。

あの時の光景は不思議でした。
プールで辛そうに歩いてる生徒の集団。

時間の掛かった生徒は夕方までプールの中。
ガタガタ震えてました。

見てるほうも寒くなります。
顔色が変わってましたからね・・・
それでも親には誰1人言わなかったのです。

鬼コーチでしたが、その先生は卒業してからも、年賀状を欠かさずくれました。

今の時代なら暴力教師として、メディアに取り上げられて有名になってたでしょう。
捕まらなくてよかったですね。

続く

追伸
来年は鬼コーチEに年賀状を書いてみようかと思います。
今は校長先生に昇格したようなことを耳にしました。

石原まい子


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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本物の竹馬


小学生のときです。
竹馬(たけうま)が流行った時がありました。
私もみんなと同じように竹馬を買ってもらいました。

まったく出来ない…
向いてない・・・

片足を乗せただけでバランスを崩してしまう。

面白くありません・・。
何が楽しいのかわからない

本当におもしろくないかった。


上手に乗れてる人が羨ましくみえました。
竹馬で走ってる子がいると、まるで自分の足のような勢い

「すごい。すごすぎる」
竹馬名人!
私には無理かな・・・・

考える人4・10

みんなの見えない所で密かに練習しました。
見られると練習終了。

なんだか恥ずかしい・・。
まだお茶目な頃の小学生

上達しないのをお父さんが見ていたのでしょう。

こっそり?

普段は厳しくて怖い存在の父でしたが、優しく教えてくれました。

珍しい・・・・
私とちがって運動神経抜群のお父さん

似てればよかったのに・・・

昔の竹馬話しを聞いたりして楽しかった。
普段は仕事の鬼と思うぐらい生真面目なお父さん
そのうち、手作りの竹馬を用意してくれました。

嬉しいのと恥ずかしいのと何ともいえない気持ちです…。

喜んだかどうかは別ですけど。
だって・・・・


手作りの竹馬を持ってる友達なんていません(笑)

もちろん、新しいのも買ってもらいました。
さすがに手作りの竹馬では・・・・
しかも本当の竹!

倒れず上手に乗れたときは感動ものでした。

心の中で大はしゃぎ。

口には出せなかった。
素直じゃなかったですからね・・・

「竹馬なんか流行らなければいいのに」
そんなふうに思ってましたから。

私は馬になった気分を味わいたいとも思わない
只、流行っていたから・・・
それだけ。

上手になってからは、手が痛くなるまで竹馬に夢中。
手にマメが出来てましたから。
我ながらよく頑張った。

何でも夢中になると止まらない性格。
でも負けず嫌いではない。

お父さんのおかげで、みんなと同じように竹馬が乗れるようになりました。
竹馬(チクバ)の友ならず、竹馬の父。


ありがとう
お父さん。

石原まい子


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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赤と黒の履歴書

オオカミカット

子供の頃に一度だけ、オオカミカットにされたことがありました。
今みたいにお洒落な感じとは掛け離れてます。
流行っていたのかも分かりません…

おかっぱ頭の子も多かったのは覚えてます。

いつの時代?という感じです。

右も左も、おかっぱ。だったような・・

わざわざ美容院へ行って何故オオカミに…
全く似合わない。
トラは好き。
狼なんか嫌いなのに・・・

トラ

誰が考えたのだろう。
狼カット
精神状態が狼になりそう。


早く髪の毛が伸びないかな~と引っ張ってました。
痛いだけ。それでも引っ張り続ける(笑)

あんなに短くて男の子みたいなヘアスタイルは、それが最初で最後。
美容師時代には流行りで短くしたことはありましたが、
その後はずっとロングです。

狼カット、思い出すと笑っちゃいます。
友達は美容院でカットせず、親に前髪を短く切られてました。
しかも、かなりの眉毛上。

今でいうオンザ眉毛・・・笑うに笑えなかった。
その子は特に嫌がってるようには見えませんでした。
私がピンドメで前髪をとめてあげようとしたら「大丈夫だから」と…

そうなんだ…

それでいいんだ。(心の声)

う~ん・・・・・・

気にいってたのかもしれません。
それとも髪の毛を気にはしていなかったのかも。

髪だけではない・・・
洋服も変わった格好
親が勝手に決めていたにちがいない。

家が近くで仲良しだったんですけどね。
男の子顔の彼女は今頃何してるんでしょう…。

 

小さな恋の物語ではなく、小さな狼の物語。

石原まい子


姐さん「任侠」記
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嫌いだった幼稚園

おとなしかった幼少期。

幼稚園は嫌々ながらも頑張って行きました。

嫌いなのがお弁当の時間。

みんなは嬉しそうな顔でした。
何故?
全く持って嬉しくも楽しくもない。

しかも、うるさい・・・
騒ぎすぎ・・・
静かなのが好きだった幼稚園児

先生の一言でお弁当の時間が嫌いになったのです。

「お母さんが作ってくれた大切なお弁当ですみなさん残さず食べましょう!」

それを聞いた途端・・食欲が失せました。


当たり前のことなんでしょう。
「ご飯を一粒でも残したら怒られるんだ」
ふ~ん・・・

それなら食べないほうがいい。

たぶん残してしまうから・・・

私は幼稚園の先生に叱られたことはありません。

親以外の人に怒られるという免疫力がなかったのです。

優しい先生だけど、もしも叱られたら・・・
さらに幼稚園へ行きたくなくなるのはわかっている。

お弁当箱も他の人より小さいものにしました。

楕円形のアルミにアニメのキャラクター。

昭和の時代に流行ったアニメ
私のはイマイチ好きじゃないキャラのお弁当箱
中身はサンドイッチ4つ

ご飯粒を残したら怒られる・・・
パンなら大丈夫。
毎日サンドイッチでした。

しかも練乳ミルク入り
玉子やツナサンドなんて興味なかった。

お母さんが、たまには違うものをいれようとしたときは泣きながら叫んだ・・・

イヤだ・・・
ミルクのサンドイッチだけでいい!
他はいれないで。

おにぎりや普通のお弁当が本当は持って行きたかった。
でも、先生のあの一言が頭から離れない・・・

一粒も残したら駄目

まぁいいや
家に帰ったらご飯を食べることだし。

ロコモコ

先生や友達から「飽きないの?」と言われました。
私「あきない。」

いちいち理由を言うのも嫌でした・・・
周りから何を言われようが、どう思われようが、気にしないようにしてました。

どうせ食べるのは自分なんだし。
親友がいたから幼稚園に行ってたようなもの。

幼稚園が終われば小学校。
卒園式が楽しみでした。

親に文句も言えないおとなしい時期

とにかく楽しくない幼稚園にいるより、早く家に帰りたくて仕方がなかった。


幼稚園で唯一楽しかったことは、ぬり絵と読書。

絵を書くのと本を読むのは大好きでした。

自分の世界に入ってしまうんです。
のめりこめる。
至福の時間

絵画教室にも少しだけ通いました。

幼稚園よりはるかに楽しかったです。

将来は画家になろうかとまで思ってました。


まさか極道の世界に入るとは・・

続く。


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
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まえがきには
生い立ちが書いてあります。

本に書いてないことを綴っていきます。

「姐さん」カバー


刺青を全身に背負った私
想像できないかもしれませんが、
幼い頃の私は、おとなしかったんです。

母と美容院に行ったときでも3~5時間、黙ってイスに座り待っていたことがあります。

文句ひとつ言わない静かな子供でした。

まだ幼稚園の頃だったような・・

愚痴も言わなかったぶん、次からはついて行くのをやめました。

小さい頃は食が細くて今みたいに沢山食べませんでした。
やせっぽっち。

幼稚園も嫌いで、熱がないのに体温計をお湯の中に入れたりして(笑)

ずる休みばかり。
休めると嬉しかった。

今と違って子供の頃は臆病でした。

先生から叱られると憂鬱な気分に・・・
反抗などしません。
まだこの頃は・・・

それがどこでどう変わったのか分かりませんけど、あるとき爆発したんですよね。

性格も変わりすぎるぐらい。

おとなしい性格とは掛け離れてしまったのです。


何処へ行ってもリーダー的な存在。

それなりに楽しく遊んでました。

親には心配ばかりかけてましたけど・・・

そんな時期、誰もが一度ぐらいは経験してるのではないでしょうか?

続く

石原まい子


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極道(親分)の女房の実録記事。宝島社より”姐さん「任侠」記”好評発売中。現在は、作家、モデル、任侠カウンセラー、いじめ撲滅ジャーナリスト・介護士。夢は果てしなく続きます!実現させるのが夢。人は独りではないですからね。心を強く持ちましょう。
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