元極妻の隠された幼少期

元極道(親分)の妻ですが現在は静かな生活を娘と送っております。 幼少期から現在までを書いていきます。 時々つぶやき。時々晴れ雨曇り★ これは石原まい子の裏ブログです。 誰も読まないでください。

2012年04月

手紙

こちらの記事の続き

あいかわらず学校の帰りに商店街中を聞いて回った…
ところが月日が経つにつれて、冷たい大人

魚屋のおじさん「全然わからないから」
何にかを隠してそう…

今までなら優しく声をかけてくれたのに…

ある日、手紙が届きました。
エミちゃんからです!

嬉しい。

二度と連絡がとれないかもしれない
そう思ってましたから。

内容は「まい子ごめんね。
お父さんが死んじゃってから、誰とも話さなかったの…
お母さんから、誰にも住所を教えたらダメって言われてた」


便せん二枚の手紙
一枚は私とエミちゃんの顔が書いてある絵

楽しそうな、あの頃の二人
エミちゃんは忘れてはいなかった。
よかった…

その手紙の最後には、今住んでいる住所が書いてありました。

誰にも教えないでね。
ナイショだから

東京からは居なくなっていた。
八王子
行ったことのない場所

借金から逃れるために行動に移したエミちゃんのお母さん
そんな大きな額ではないようでした。

派手で話し好きのおばさんは水商売で働いていたらしい

仲良しに見えた商店街のみんな
おじさんが自殺してからは急に態度が変わった。


おばさんの悪口も言いたい放題
影でコソコソ

ズルい。
おばさんだって、おじさんが死んでからツラくて悲しい思いをしてたのに…


自分勝手な大人達
涙の一つも流せないないんて…
美味しい天麩羅も特別にサービスしてもらっていたくせに…


その頃から大人になんかなりたくない
そう思うようになりました。

表の顔と裏の顔
私の両親は真っ直ぐな性格
裏も表もない。


あれから連絡を取り合って、久しぶりに再会したのが、中学一年生

新宿で待ち合わせ
駅ビルがマイシティの時代
今はルミネ

歩きながらいろんな話をしました。

バレリーナになりたかったエミちゃんのお姉ちゃんは、グレてしまった
そうなんだ・・・
おじさんが亡くなってから変わってしまったらしい…


エミちゃんとは、それが最後。
引っ越しを繰り返し、今は何処にいるかわからない…

会いたいと思う友達
探してます。
恵美子ちゃん。

幸せになってるといいな。

ポインセチア


恵美子ちゃんのお父さんへ
たくさんの楽しい想い出は忘れません。
美味しいご飯を食べてるときは幸せでした。

きっと天国でエミちゃんを見守ってるでしょうね。
ありがとうございました。

石原まい子


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
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ショック

こちらの記事の続き。

朝早く一本の電話が鳴りました。
出たのはお母さん
何か様子が変…

「まい子、大変よ。エミちゃんのお父さんが…自殺したって…」

私「エミちゃんの所に行ってくる。」
お母さんからは止められた…

今は行かないほうがいい
私は前の日も変わらず、エミちゃんの家に遊びに行っていました。
私が好きな海老を多めに入れてくれた天丼

ご飯は少なめで。
好きなだけ食べなさい
遠慮しなくていいから。

夕飯はエミちゃんと一緒でした。
1ヶ月に何回かは泊まりに。

あの時、五百円もらいました。
今とはお金の価値がちがいます。

40年近く前

「おじさん、こんなにいいよ。持ってるから大丈夫」
「いいから、しまっておきなさい。」

これが最後の会話でした。

お通し


もしあの時、私が泊まっていたら…
死ななかったのかな…

何があったのか分かりませんでした。
何で…何で…

お母さんに内緒でエミちゃんの家まで走りました。
そしたら、パトカーや救急車が止まってました。

エミちゃんの姿が見えない
商店街は人の山
私は中に入る勇気がなかった…

家に戻ったらお母さんは電話中

後で聞いた詳しい話。
朝、エミちゃんのお姉ちゃんが一階のトイレに入って、扉を開けたら…
おじさんが首を吊っていたらしい…


それを聞いてショックだった…
私よりエミちゃんやお姉ちゃん、おばさんは立ち直れないぐらいショックなはず…

御通夜、御葬式には学校の友達みんなで行きました。
ずっと泣いているエミちゃんとお姉ちゃん
声をかけられなかった…

遺影の写真は、いつも優しいおじさんの笑顔
涙が止まらない…

家族がいるのに何で死んじゃったの…
悲しすぎる…

みんなで遊園地やプールにも行って楽しかったのに…
しばらくして、エミちゃんの家は売りに出されてました。

学校にも来ない
電話しても繋がらない
どこにいるのか分からない…

何も言わないでいなくなってしまった…
あれだけ仲良しだったのに…

私はどうしてもエミちゃんと連絡が取りたくて探し回りました。
商店街のお魚屋さん、隣のサンドイッチ屋さん、八百屋さん、裏のお家まで。

みんな仲がよかったはず
それなのに誰も居場所も連絡先も分からない…

1人で毎日のように聞いて回った。
何か手がかりがあるはず。

続く

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姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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大親友

小学校一年生からの大親友エミちゃん。
エミちゃんとは毎日一緒に遊んでました。

お家も近くて学校が終わったあとはすぐにエミちゃんの所に。
一緒にいない日は無いぐらい仲良し。

エミちゃんの家は商店街にあり、一階でお父さんが天ぷら屋さんを経営。

よくごちそうになってました。
とても美味しいんです。

エミちゃんには3つ上の綺麗なお姉ちゃんもいてバレエを習ってました。
まるでモデルさんみたい。

モテモテのお姉ちゃん
エミちゃんと喧嘩してるときは怖いお姉ちゃんに変身

私もお兄ちゃんとはよく喧嘩してましたからね。
気持ちがわからないでもない・・・

それでも仲良し姉妹
美人のお姉ちゃんに可愛いエミちゃん

私にもバレエを優しく教えてくれました。
エミちゃんには厳しかったです・・・
さすが姉妹

バレエのコンクールが近付いてくるとイライラしてるのがわかります。
そんなときはエミちゃんのお姉ちゃんには近寄りません。

練習姿はウットリするほど素敵。
白鳥の湖を踊ってるときは、まるで白鳥そのもの

将来はバレリーナになりたいと言ってました。
きっとこのお姉ちゃんなら夢を叶えられる
そう思ってました。


私も練習に参加するときは楽しくて楽しくて。。
当時はCDなんてない時代
レコードとカセットテープで曲を流します。


バレエをやってる2人はガニマタ。
私は内股・・・
練習してるうちに内股も直るかと思ってました。

バレエをやってる人はみんなガニマタ
姿勢は抜群にいい
歩き方もきれい。

練習は30分もすると汗だく
つま先が痛くて痛くて・・・・

すぐに弱音を吐きました。

あとは公園で遊んだり、駄菓子屋さんに行ったりしてました。
近くの神社はみんなの遊び場

ゲームなんかで遊ぶことはなかった。
というより、ゲームなんか置いてる家はない

ブランコやシーソー
砂場でお団子作り
とても上手に出来ます。

でも食べられません。
砂で固めてるだけなので。
仕上げがキレイな白い砂をまぶして出来上がり!

意外とコツコツした作業
上手に出来るまで黙々と作り続けます。

食べたフリ
美味しい~
素直な幼少期

エミちゃんの両親は私のうちと違って厳しくない
優しすぎるぐらい。

私にまでお小遣いをくれました。
しかも頻繁に。

うちのお母さんはその度にお礼の電話
そして家族でエミちゃんのお店に天麩羅を食べに行ってました。

お金を払おうとするうちの親
お金を受け取らないエミちゃんのお父さん

無理矢理に渡してたのを覚えてます。

お小遣いくれたりしてるから、お金持ちなのかと思いきや…
あとで聞いたら借金してたようです。

子供の私は知らなくもよいこと。
なにで借金してたか、そんなことは聞きたくもなかった・・・

私はエミちゃんがいるから楽しい毎日を過ごすことができてたわけだし
大人の事情は興味ない

他の友達とちがうのは、とにかく学校をよく休んでました。
平日に遊園地など家族で行ってたみたいです。

理由は平日のほうが空いてるから
確かに・・・・

午前授業のとき、帰り道でエミちゃん家族とばったり遭遇。
驚いてたのはエミちゃんの親

見つかってしまった
そんな勢い・・・

タクシーに乗り込もうとするときに、「まい子ちゃんも一緒に行きましょう」
私はウンもスンも言わずに乗る羽目に・・・

エミちゃん家族とタクシーで遊園地
ドキドキ
家に電話しないと怒られる・・・・


途中で公衆電話から報告。
お母さんもビックリ。

私は子供の頃、遊園地に行った記憶が少ない…

仕事一筋のお父さん
夏は家族で海に行ったりしましたけどね。

エミちゃん家族とは大の仲良しでした。
夕飯時の赤出汁が美味しくて。。
ごちそうになってばかり。



エミちゃんの誕生日パーティーも豪華
全部手作り
大きな大きなケーキが用意してありました。

1万円のケーキ


こんな大きいケーキがあるんだ・・・
すごい!

やっぱりエミちゃんのお父さんもお母さんも優しい
こんなお家の子供になりたかったな・・・

そんなふうに思ってました。
欲しい物は何でも買ってもらえる

どこにでも連れて行ってもらえる
お小遣いもたくさんもらえる

もらえる放題
わ~い

隣の芝生はよく見える

あとで聞いた話
エミちゃんのお母さんは大のパチンコ好き。

そういえば、早い時間はいないときが多かった・・・

どこへ行ってるのか気にしない
只、髪のセットとお化粧はバッチリ。
話し好きで社交的でした。


エミちゃんのお父さんは静かな人で、あまり余計なことを話さない。
そのお父さんが・・・

続く



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ドンパチうるさい運動会

子供なら誰もが楽しい運動会。
前日には嬉しくて眠れない

雨が降って中止になればいいのに・・・
そう思ってる子供
私はあいにく、運動会が嫌いでした。


何故なのか・・・・
全てが憂鬱…
運動会の準備も練習も、何一つ面白いとは思わなかった…

そもそも体操着に着替えるのがイヤでしたね。
隠れながら着替えるみたいな・・・

可愛い体操着なら少しは気分がちがうかもしれません。
上が白で紺色のブルマ
恥ずかしい・・・

それを運動会で着ること自体が変な気持ち
私だけでしょうか・・・

敢えて言うなら飾る花を作るのは好きなほうでした。
女子の役割
薄紙で作った紅白の花

牡丹のようで牡丹じゃない
薔薇のようで薔薇じゃない
菊のようで菊じゃない


あれはいったい何の花なんでしょう。
コツコツと花を作り続けること数時間×数日=数百個

運動会の練習をするよりはマシでした。
器用なほうではないので、あまり綺麗な花にはならなかった・・・

上手な友達は早くて綺麗
わ~。キレイな花。
すごい上手。

褒めまくり
上手に出来て”うらやましい”とか思う性格ではなかった。

只、作るのが遅いため、器用な子から嫌味を言われたのです。
これしか出来てないの?
綺麗じゃないからみんなで作り直そう!とか・・・

それを聞いても言い返すことはなかった。
その場の冷たい雰囲気が嫌で、教室から出る羽目に・・・

運動会のお昼も苦手。
今みたいにキャラ弁なんてないし。
お弁当は好きじゃない。

あの時の思いが・・・・

キャラ弁


リレー・徒競走、一番嫌いな種目です。
マラソンも嫌いでしたからね・・・
練習なんかしても、速い人は決まってます。

どうせリレーの選手には選ばれるわけがない…
自分が一番よくわかっている。

思いっ切り走っても途中でドンドン抜かれて行く。
短距離は得意なほうです。
私にとって100mは長距離。

性格が短期集中型。
短気ではなく短期

運動会の徒競走・リレーで掛かる音楽が最悪…

タンタンターン タンタンターン
タンタンタンタンタン
タッタラタッタ タッターター
ターラ ターラ ターラ タタタ♪

楽しそうな音符マーク
実に楽しくない・・・・
何であの音楽なのかな・・・

身体によくない
先生が手にしてるピストル(チャカ)
尋常じゃない程うるさい。


パンパンパンパンと音が耳にこびりつく。
心臓にいいわけがない
「ヨーイドン」の掛け声
それだけで良かったのに…


小学校時代
一等になった記憶がありません。
二等ならラッキー


早く終わらないかな…
そんなことばり考えてました。

運動会は私に向いてない
勝手に決めつけてました。

でも、本当は1度でもいいからリレーの選手をやりたかった
補欠でもいいから・・・
心の声が届くことはありませんでした。


追記
練習が厳しいなんてものじゃありません。
出来ないと殴られてましたから
クラスのみんなも怯えてました。

居残りは当たり前
反抗する生徒なんていません。
勇気ある行動に出たら大変なことに・・・


毎日のように、顔をひっぱたくか、グーで頭を殴るんです…
ストレス発散の場が学校だったのでしょうか。

小学生を殴る
私達は親よりも怖いと思っていました。
親も怖いのに・・・

先生に嫌われていた子は1日に何発も何十発も殴られてました。
誰も止めることはできません。

その子は耐えてましたが、いつの頃か転校してきました。

今の時代とは違って殴られても、親には言いません。
私は何故か先生には好かれてました。


好かれるような事は何一つしなかったんですけどね
担任が代わることを誰もが祈ってました。

なんと2年連続、同じ先生に・・・・

思うようにならないのが人生です。

★★★★★

極道の世界に入ってから、何丁も並べたチャカを見ても怖いと思いませんでした。

弾いた音は…何度聞いても好きじゃありません。

耳を塞ぐことはなかったです。

ドンパチは戦争ですからね。
緊張と不安が過ります。
弾いた音を聞かなくなった現在、ようやく静かな生活を送れるようになりました。


石原まい子


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兄妹喧嘩5

私には三つ上の兄がいます。
頭がいいけど、通信簿には毎回のように「落ち着きがない」と書かれていました。

実はお兄ちゃんと犬猿の仲
話せば喧嘩ばかり…

力では負ける
宿題も、分からないから聞いてるのに途中で怒りだす。

短気にも程がある。
怒り方はお父さんによく似ています。
鬼みたい…

なるべく近付かないようにしてました。
めんどくさいから。

お母さんも困ってたし… お兄ちゃんもお父さんも怒りんぼから。

ある日の大喧嘩
あまりにも腹が立って、何をすれば気が済むか考えました。

玄関先でぶっとばされた私
仲裁に入ったのはお母さん
早く離れて!まい子も自分の部屋に行きなさい。

私は悔し泣き
どうにもこうにも気持ちが収まらない…

お兄ちゃんが気に入っていた靴を自負の部屋がある三階から思いっきり投げたのです。

とりあえず片方だけ
それでもイライラして、もう片方の靴は土手に投げました。

ばーか…
お兄ちゃんなんか大嫌い!!
家に戻ってからは何だか落ち着かない。

何故だろう…
やっぱり、投げた靴が気になる。

気にいってたはず。
どうしよう…
罪悪感が芽生える

しばらくして、お兄ちゃんが謝りにきました。
いつもならゴメンなんて、絶対に言わないのに…

下を向いたまま何も言えず。
夜の8時頃にソーッと抜け出して、泣きながら投げた靴を拾いに行きました。

無い 無い 無い
暗いし、どこに目掛けて投げたのか分からない…

喧嘩したときの怒りは消えていた。

部屋から投げた靴は裏の家の屋根に乗っていたので、例の竹馬で引っ掛けて取ることに成功。
誰にも見られていない。

よかった~

翌日お兄ちゃんは無くなった靴を探してました。
しかも見つからないのは片方の靴

結局最後まで言い出せませんでした。
あの日から30年後ぐらいに、お母さんとお兄ちゃんに話しました。

アリとキリギリス


そんな事があったのは覚えてないみたい。
私の中では、ずっと忘れることができないままでした。

謝るって、簡単なようで簡単じゃない
ごめんなさいの一言
なかなか言い出せない性格

謝らないで、得することなんてないのに。
損をすることばかり。

あんなに仲の悪かったお兄ちゃんは、極道の世界に入った私をずっと心配してくれてました。
余計な事を口には出しませんでしたけどね。

石原まい子

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ひとりあやとり5

あやとりが流行った時代
小学生の頃、休み時間になると女子はみんなやってました。

男子は何をしていたのか覚えていない。

私も一緒になってやろうとするんですが難しい…
器用な子は、あっという間にスゴい技をを披露。
どこで覚えたのかな・・・

ポカーン…
あまりの早業に何を作っているのか分からない。
早いことが自慢?

ゆっくりやってもらって自分も同じようにやってみました。
「ひとりあやとり」の三番目の技になるとアウト。
難しい・・・

網・川・富士山・蝶・東京タワー・橋・ゴム
網(あみ)とは何?って感じ。

漁師さんは、あやとりなんかやるはずがない・・・
赤い太めの毛糸で網作り。

みんなでやる時は途中で誰かつまずくとヒントを出す子がいます。
聞いてもいないのに・・・

私は思い出せなくても、そのヒントを言われるのがイヤでした。

ヒントを出されたうえに分からなかったら自分が情けなくなります…
お願いだから黙っていてほしい・・・
もう少しで思い出すのに…

ハロウィン1

こうなったら、家に帰って早速あやとりの猛特訓です。
お人形はダメでも、あやとりの本は買ってもらいました。
わかりやすい本。

1日中あやとり
完璧に出来るようになるまでは楽しくない。
指がおかしくなりそう・・・

誰にも頼らず、本当の1人あやとり(笑)
孤独との戦い
ところがコツを覚えた途端にスイスイと出来るようになりました。


嬉しい…
1人で大喜び。
これなら大丈夫。
初めて披露したのが、お母さんの前です。


「スゴいわね~天才じゃない」
天才とまで言われてしまった私。
さすが、親。
褒められると更に頑張る


私は覚えるまでが普通の人より時間が掛かります。
だから人の何倍もの努力が必要。
出来なければ出来ないまま

さみしい思いをするのは自分
それが嫌で猛練習します。

学校に行ってみんなの前で見せた時は驚いてました。
なんとなく自慢気。
自称あやとり名人。

心の中で叫びました。
やった~!
やれば富士山だって、蝶だって何だって作れちゃう。

あやとりの小さな世界
子供ながらに奥が深いなと感じた瞬間

1人あやとりではなく、みんなあやとり
独りは寂しいけど1人なら大丈夫。

1人と独りはちがいますからね。

大人になったら、あやを付けたとか、嫌な言葉が飛び交ってます…
極道の世界では普通に使ってましたね。

あやを付けるの意味⇒言いがかりを付ける



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悲しい家庭科の時間

小学校の4年生になると、家庭科の時間が楽しみです。
何故かというと、調理実習が始まります。

お裁縫が苦手な私
けれど、お料理を作るのは大好き。
本を読んだりして何気に勉強してました。

調理実習がスイーツと決まった時には嬉しくてたまりません。
毎日のようにカレンダーを見てました。

初めての実習ですからね。
作るのはクレープに決定!

今のようにクレープ屋さんがない時代…
もうワクワクですよ。

グループごとで作ります。
前の週に他のクラスがクレープを作ったので、一口もらって食べたんです。

美味しい~
生クリームとバナナ入り
チョコレートも掛かってました。
匂いでもたまらない。

私も同じように作るき満々です。
各グループそれぞれ5人ぐらいはいました。
決めたのは先生。

普段あまり話さないグループと一緒。
「美味しく出来ればそれでいい・・」
目的は食べること。

材料を分担してました。
そして待ちにまった調理実習。

あちらこちらで甘~い匂いがしてきてます。
何だか私のグループは、みんな動くのが遅い、静かすぎ…

もう・・・・

他は出来上がってるのに…
早くしなきゃと焦るばかり。

なんと、バナナを持って来る子が忘れてきてしまったのです…
最悪・・・

「ばか…一番大切な物を忘れるなんて」
一生懸命、生クリームも機械を使わず作ったのに…

当時、ハンドミキサーなんて学校にはなかった。
なかなか泡立たない生クリーム…
思ったより大変

それでも美味しくできるためには必死。

私がバナナを持ってくればよかった・・・
他のグループの子が缶詰のサクランボをくれたのです。

よりによって缶詰のサクランボとは…
うれしくない
美味しくないし・・・

あれは飾り用にしか見てなかった。
何もないよりかはマシ?

やる気のないグループに入ってしまったのが間違いでした。

みんな暗いし、楽しくないのかな?

何で・・・・


クレープの生地を焼き、生クリームを入れてサクランボは飾りに2つ。

見た目が寂しい・・
あ~あっ。


他の子達は「美味しい」と騒いでる。
あれだけ楽しみにしていたのに、いざとなったら食欲が失せました。

お好み焼きみたいな生地の厚さ。
柔らかくもない・・・
固まった小麦粉が点々としている。

先生が食べた感想を聞きにきました。
「美味しく出来ましたか?」
シ~ン・・・・

不味い…
不味すぎる
感想を言う気にもなれない。

「食べきれない子はお家に持って帰って、お母さんに食べてもらいなさいね」

中身がないクレープ
しかも美味しくない
本当に・・・

そんなものを渡せるはずがありません。
アルミホイルに包み、ランドセルに入れました。
奥のほうに・・・

家についたら何も言わず、机の引き出しに隠しました…
見付からないように。

結局、家のゴミ箱には捨てることが出来ずじまい。
どこに捨てるべきか・・・

数時間なやんで、外の排水口みたいな所に捨てました。

近所の人に見られないかドキドキ

お母さんは、私が学校でクレープを作ったのを知らないまま…。
それでよかったと思ったのは幼い考えかもしれない

現在この年齢でもクレープが好きなのは逆トラウマ(笑)
美味しいクレープしか食べません。

クレープ サンタ

明るくて元気でしたが、この頃までは内気だったのです。
かわいい年頃

楽しみしていた調理実習が悲しい時間に変わった思い出。

因みに現在のわたくしの娘は19。
ケーキ作りは得意です。

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可愛がってた蛇

女の子なら誰もが欲しがるお人形。
幼い頃の私も欲しかったお人形がありました。

髪が長くてキラキラのドレスを着た可愛いお人形。

着せ替えの洋服もあります。
欲しい・・・

うちは決して貧乏な家庭ではありません。
父は異常なほど厳しかったので、欲しいものは何でも買ってくれるという性格ではなかった…

だから簡単には言えませんでした。
母には言ってたんですけどね。

そんな母も父には言えない・・・
亭主関白もいいところ!

おもちゃ屋さんの前を通るたびに気になる存在

もしも買ってもらったら、名前は夢子ちゃんと付ける
想像しただけで、楽しい気分になれました。

親には何でも言えるような頃ではなかったので、欲しいな~という願望だけ。

あるとき家族で外食をした後、おもちゃ屋さんに行ったとき言ったんです。
怒ってばかりの父が機嫌のよいとき。

勇気を振り絞って・・・・
「このお人形さん欲しいな」


ところが、お父さんは「こんな下らない物なんか意味がない!」

「くだらないんだ・・・」私の心の声
意味のある物って何?

ショックでした・・・
それからは二度と欲しかったお人形さんの話をすることはなかった。

夏の暑い日、突然遠い親戚の叔父さんが訪ねてきました。
お土産は30センチぐらいの蛇。
柔らかい素材

何故これを選んだのでしょう・・・

色はピンクとグリーンのストライプ
今でも覚えてます。
大切にしてました。

見付からないように蛇と会話
夜は小さな布団をかけてあげて・・・
風邪をひないように。

そっと、おやつも食べさせてあげました。
尻尾の縫い目がほつれてしまったとき、
バンドエイドで応急処置。

このことは誰も知らない

家族にも言わない
友達にも言わない
自分だけの秘密

可愛がってたのが蛇ですよ。ヘビ。
今の私は身体に蛇(刺青)も入ってますけどね。
可愛いかは別の話。

蛇イラスト


子供が出来たら欲しいものは何でも買ってあげようと思ってました。
トラウマでしょうか・・・

案の定、うちの子は何不自由なく贅沢三昧の生活を送ってました。
良いのか悪いのかは分かりませんが…。

欲しかった可愛いお人形は派手な蛇に。
今となってはそれも忘れられない思い出。
蛇の名前は教えません(笑)
ナイショです。

続く

姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
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鬼の夏休み

小学校の夏休み
普通なら楽しくて当たり前。
学校に行かないのは嬉しいんですが、夏休みプールです。
1週間のうち最低でも3回は行かなくてはいけません。

要領よく休んでる子もいたんです。
私はそれが出来ませんでした。
休めば又プールに沈められる・・・・

先生が有名な鬼コーチ…
私の担任は自分のクラス全員が一級もしくは特級

それを取らなくてはいけないと決めていたのです。
オリンピックに出るわけでもないのに・・・

無級から~1級
誰が考えたのか特級まであります。
同じ特級なら特休でお願いしたいぐらい。

クロール500m
平泳ぎ 500m
背泳ぎ 200m
バタフライ 50m
潜水 50m

小学生だという事を先生は理解してほしい。

納得いかないのが潜水
「なんで、プールの底を泳がなきゃいけないのか…」
不思議というか複雑な気持ちでした。


水の中で無心にもなれず、早く帰りたいとしか思ってませんでした。
そもそも、息を止める我慢大会のようなものです。

苦しくなって立ってしまうと、先生が頭を押さえつけて沈められるのです…

最低・・・・・

苦しんでる生徒を沈めるなんて、虐待もいいとこだ。
それでも言う事を聞かなければいけない時代。
親にも言えない。

嫌々、スイミングスクールにも通い、早く泳げるように練習しました。
そこに通うのも憂鬱・・・
ビートバンから始まって、又もや潜り
どこへ行っても息苦しい。

スイミングスクールに行ったおかげで潜水と背泳ぎは得意になりました。

顔が上を向いていられる背泳ぎは楽しいほうです。

潜水なんか誰にも自慢できません。
よくわからない競技。

バタフライ、名前の由来はバッタなのか蝶なのか分かりませんが苦手でした。

カラスアゲハ

水泳選手じゃないのに…
バタフライなんて、私が泳いだらバダバタするだけです…。
恥ずかしいだけ。

異常に上手い男子もいました。
若干一名
それを見てもカッコイイとも思いません。

子供のくせして大人みたいな体つき
キモッ・・・

何とか高学年には特級を取ることが出来ました。
しかも無理矢理。

途中でリタイアしようなんてことはできません。
歩いてでも前へ進めと言われてしまう。

歩いたら特級の意味がないのに・・・・
マジで。

あの時の光景は不思議でした。
プールで辛そうに歩いてる生徒の集団。

時間の掛かった生徒は夕方までプールの中。
ガタガタ震えてました。

見てるほうも寒くなります。
顔色が変わってましたからね・・・
それでも親には誰1人言わなかったのです。

鬼コーチでしたが、その先生は卒業してからも、年賀状を欠かさずくれました。

今の時代なら暴力教師として、メディアに取り上げられて有名になってたでしょう。
捕まらなくてよかったですね。

続く

追伸
来年は鬼コーチEに年賀状を書いてみようかと思います。
今は校長先生に昇格したようなことを耳にしました。

石原まい子


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本物の竹馬


小学生のときです。
竹馬(たけうま)が流行った時がありました。
私もみんなと同じように竹馬を買ってもらいました。

まったく出来ない…
向いてない・・・

片足を乗せただけでバランスを崩してしまう。

面白くありません・・。
何が楽しいのかわからない

本当におもしろくないかった。


上手に乗れてる人が羨ましくみえました。
竹馬で走ってる子がいると、まるで自分の足のような勢い

「すごい。すごすぎる」
竹馬名人!
私には無理かな・・・・

考える人4・10

みんなの見えない所で密かに練習しました。
見られると練習終了。

なんだか恥ずかしい・・。
まだお茶目な頃の小学生

上達しないのをお父さんが見ていたのでしょう。

こっそり?

普段は厳しくて怖い存在の父でしたが、優しく教えてくれました。

珍しい・・・・
私とちがって運動神経抜群のお父さん

似てればよかったのに・・・

昔の竹馬話しを聞いたりして楽しかった。
普段は仕事の鬼と思うぐらい生真面目なお父さん
そのうち、手作りの竹馬を用意してくれました。

嬉しいのと恥ずかしいのと何ともいえない気持ちです…。

喜んだかどうかは別ですけど。
だって・・・・


手作りの竹馬を持ってる友達なんていません(笑)

もちろん、新しいのも買ってもらいました。
さすがに手作りの竹馬では・・・・
しかも本当の竹!

倒れず上手に乗れたときは感動ものでした。

心の中で大はしゃぎ。

口には出せなかった。
素直じゃなかったですからね・・・

「竹馬なんか流行らなければいいのに」
そんなふうに思ってましたから。

私は馬になった気分を味わいたいとも思わない
只、流行っていたから・・・
それだけ。

上手になってからは、手が痛くなるまで竹馬に夢中。
手にマメが出来てましたから。
我ながらよく頑張った。

何でも夢中になると止まらない性格。
でも負けず嫌いではない。

お父さんのおかげで、みんなと同じように竹馬が乗れるようになりました。
竹馬(チクバ)の友ならず、竹馬の父。


ありがとう
お父さん。

石原まい子


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
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赤と黒の履歴書

オオカミカット

子供の頃に一度だけ、オオカミカットにされたことがありました。
今みたいにお洒落な感じとは掛け離れてます。
流行っていたのかも分かりません…

おかっぱ頭の子も多かったのは覚えてます。

いつの時代?という感じです。

右も左も、おかっぱ。だったような・・

わざわざ美容院へ行って何故オオカミに…
全く似合わない。
トラは好き。
狼なんか嫌いなのに・・・

トラ

誰が考えたのだろう。
狼カット
精神状態が狼になりそう。


早く髪の毛が伸びないかな~と引っ張ってました。
痛いだけ。それでも引っ張り続ける(笑)

あんなに短くて男の子みたいなヘアスタイルは、それが最初で最後。
美容師時代には流行りで短くしたことはありましたが、
その後はずっとロングです。

狼カット、思い出すと笑っちゃいます。
友達は美容院でカットせず、親に前髪を短く切られてました。
しかも、かなりの眉毛上。

今でいうオンザ眉毛・・・笑うに笑えなかった。
その子は特に嫌がってるようには見えませんでした。
私がピンドメで前髪をとめてあげようとしたら「大丈夫だから」と…

そうなんだ…

それでいいんだ。(心の声)

う~ん・・・・・・

気にいってたのかもしれません。
それとも髪の毛を気にはしていなかったのかも。

髪だけではない・・・
洋服も変わった格好
親が勝手に決めていたにちがいない。

家が近くで仲良しだったんですけどね。
男の子顔の彼女は今頃何してるんでしょう…。

 

小さな恋の物語ではなく、小さな狼の物語。

石原まい子


姐さん「任侠」記
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姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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嫌いだった幼稚園

おとなしかった幼少期。

幼稚園は嫌々ながらも頑張って行きました。

嫌いなのがお弁当の時間。

みんなは嬉しそうな顔でした。
何故?
全く持って嬉しくも楽しくもない。

しかも、うるさい・・・
騒ぎすぎ・・・
静かなのが好きだった幼稚園児

先生の一言でお弁当の時間が嫌いになったのです。

「お母さんが作ってくれた大切なお弁当ですみなさん残さず食べましょう!」

それを聞いた途端・・食欲が失せました。


当たり前のことなんでしょう。
「ご飯を一粒でも残したら怒られるんだ」
ふ~ん・・・

それなら食べないほうがいい。

たぶん残してしまうから・・・

私は幼稚園の先生に叱られたことはありません。

親以外の人に怒られるという免疫力がなかったのです。

優しい先生だけど、もしも叱られたら・・・
さらに幼稚園へ行きたくなくなるのはわかっている。

お弁当箱も他の人より小さいものにしました。

楕円形のアルミにアニメのキャラクター。

昭和の時代に流行ったアニメ
私のはイマイチ好きじゃないキャラのお弁当箱
中身はサンドイッチ4つ

ご飯粒を残したら怒られる・・・
パンなら大丈夫。
毎日サンドイッチでした。

しかも練乳ミルク入り
玉子やツナサンドなんて興味なかった。

お母さんが、たまには違うものをいれようとしたときは泣きながら叫んだ・・・

イヤだ・・・
ミルクのサンドイッチだけでいい!
他はいれないで。

おにぎりや普通のお弁当が本当は持って行きたかった。
でも、先生のあの一言が頭から離れない・・・

一粒も残したら駄目

まぁいいや
家に帰ったらご飯を食べることだし。

ロコモコ

先生や友達から「飽きないの?」と言われました。
私「あきない。」

いちいち理由を言うのも嫌でした・・・
周りから何を言われようが、どう思われようが、気にしないようにしてました。

どうせ食べるのは自分なんだし。
親友がいたから幼稚園に行ってたようなもの。

幼稚園が終われば小学校。
卒園式が楽しみでした。

親に文句も言えないおとなしい時期

とにかく楽しくない幼稚園にいるより、早く家に帰りたくて仕方がなかった。


幼稚園で唯一楽しかったことは、ぬり絵と読書。

絵を書くのと本を読むのは大好きでした。

自分の世界に入ってしまうんです。
のめりこめる。
至福の時間

絵画教室にも少しだけ通いました。

幼稚園よりはるかに楽しかったです。

将来は画家になろうかとまで思ってました。


まさか極道の世界に入るとは・・

続く。


姐さん「任侠」記 (宝島SUGOI文庫)
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姐さん「任侠」記
姐さん「任侠」記

姐さん「任侠」記

姐さん「任侠」記
まえがきには
生い立ちが書いてあります。

本に書いてないことを綴っていきます。

「姐さん」カバー


刺青を全身に背負った私
想像できないかもしれませんが、
幼い頃の私は、おとなしかったんです。

母と美容院に行ったときでも3~5時間、黙ってイスに座り待っていたことがあります。

文句ひとつ言わない静かな子供でした。

まだ幼稚園の頃だったような・・

愚痴も言わなかったぶん、次からはついて行くのをやめました。

小さい頃は食が細くて今みたいに沢山食べませんでした。
やせっぽっち。

幼稚園も嫌いで、熱がないのに体温計をお湯の中に入れたりして(笑)

ずる休みばかり。
休めると嬉しかった。

今と違って子供の頃は臆病でした。

先生から叱られると憂鬱な気分に・・・
反抗などしません。
まだこの頃は・・・

それがどこでどう変わったのか分かりませんけど、あるとき爆発したんですよね。

性格も変わりすぎるぐらい。

おとなしい性格とは掛け離れてしまったのです。


何処へ行ってもリーダー的な存在。

それなりに楽しく遊んでました。

親には心配ばかりかけてましたけど・・・

そんな時期、誰もが一度ぐらいは経験してるのではないでしょうか?

続く

石原まい子


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姐さん「任侠」記
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読書の春

まだ始めたばかりのライブドアのブログ
まい子 賞メーカー

アメブロは慣れているのですが、まだまだ使い方がよく分かりません・・・
とりあえず寝ます

石原まい子


追伸
これは石原まい子の裏ブログです。
誰も読まないでください。

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プロフィール

石原まい子

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極道(親分)の女房の実録記事。宝島社より”姐さん「任侠」記”好評発売中。現在は、作家、モデル、任侠カウンセラー、いじめ撲滅ジャーナリスト・介護士。夢は果てしなく続きます!実現させるのが夢。人は独りではないですからね。心を強く持ちましょう。
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